0913


なにかと「記念日」を設定している人を見てなぜだろうと思っていたけど
節目の日時を設定することで気持ちを更新すること、
またいちからはじめる日としての役割があるのかなと最近になって思います。
「今になってあの時のあの人の気持ちがわかるから/あとになって今の君の気持ちをわかることにするよ」だな。
(大好きなたまの大好きな『学習』という歌の詞です)


二丁目の魁カミングアウトさんをはじめて観にいった日は2017年9月13日、ホモサピエンスお披露目のときだったのですが、そもそもわたしは横浜勤務になる予定で、もしそうなっていたらこの日も行ってなかったでしょう。定時の時間と距離感的に平日はきっと横浜ビブレのタワレコのリリイベがせいぜいだった。

行くか悩んで結局ひよってやめたネコの恩返しお披露目の日は白鳥さんが不調だったと聞いているので、この日が初現場だったら白鳥さん推しにならなかったんじゃないかと思うし、ホモサピエンスお披露目の日も当時のフォロワーが声をかけてくれていなかったら、真ん中のあたりで観ていなかったら、ずっとうしろのほうで観ていたらぺいさん推しになっていたのではないかなと今でも思う。(TIF2017のスカイステージの集合写真のぺいさんにグッときて現場に行ったようなものだったので)
いろんな偶然が重なっていまこの状態になっていることをしみじみと感じます。


2018年1月に杏果ちゃんの脱退があってから、「ずっと」との向き合いかたを考えつづけている気がします。
奇跡の五人じゃなかった、と誰よりも大好きだった女の子の口から言われた瞬間、絶対と信じ切っていた盤面が全部ひっくり返ったような気持ちになったこと、たぶん生涯忘れません。

二丁目の魁カミングアウトさんをきちんと好きになってからは、「ずっとなんてほんとうはないのかもしれないけど、この人たちだけは大丈夫だ」と信じて生きていました。
大好きな文章を書く別ジャンルのフォロワーがひっそり書いていた日記のなかに、おそらくものすごい速度でズブズブと心酔していくわたしを見かねて、(二丁目さんは)こちら側が求めるようなことばをくれすぎていて怖い、という旨の一文を見つけて、当時はもしかしたらそうかもしれないな、と思っていたし、いまはほんとうにそうだなと思います。


2019年12月のきまるさんがお休みしているなかでのぺいさん生誕、三人でのネコの恩返しがはじめて披露されたとき、わたしの願いは叶わなかったらしいということが直感で分かりました。
メモ代わりの鍵アカウントを見返していたら、きまるさん脱退の報告があった日に、「本気で永遠を信じた」と書いてあって、わたしもそう思うよ、と声をかけたいような気持ちになった。

ひっくり返って戻らないはずだった盤を魔法みたいにやり直してくれたのは四人で
「ずっと」が叶わなかったのは事実だけど、それとはまたべつの問題で、四人がいてくれたあいだの時間は一種の「ずっと」であったと思っています。毎日死んじゃいそうなくらい胸がいっぱいで幸福だった。


「ずっと」なんて叶うことがないことが分かってしまった人、
「ずっと」と願ったぶんだけそれが叶わなかったときにどれだけ痛い思いをするか知っている人、
そういう人たちがいるのが分かっているからこそ、筆紅サシトークで筆さんは「あえてずっとと言いたい」と話してくれたのだと思っています。
ひとつひとつ慎重にことばを選んで誰も傷つかないように、それでいて意図通り伝わるように、そういう気持ちの伝えかたができる筆さんはほんとうに思慮深い人と思います。
筆さんも紅さんも、もちろんミキさんもぺいさんも本気で「ずっと」を叶えたいと思ってるのが分かるからこそ、白鳥さんの活動終了から「ずっと」への向き合い方を考えることから逃げていたこと、向き合わずに諦めていたこととても恥ずかしくなった。それでも、もう二回ひっくり返されてしまっているから、無条件に信じることはできないな、とも思うしな。


話はすこし変わりますが
先日雨上がり決死隊の解散の報があったとき
敬愛するマヂカルラブリーの野田さんがご自身のゲーム配信のなかでこういう話題になるよね、と言いながら、
「ぼくらは解散しないようにがんばってくんで、みなさんの力でコンビの寿命を延ばしていきましょう」
というお話しをしてくれました。


寿命を延ばす、という表現がとても腑に落ちて、
わたしがこれからしていくべき「ずっと」への向き合いかたはこれなんだと思った。
「ずっと」は叶うことなんてないのかもしれないけど、できるだけ長くいっしょにいられることを叶えるためにはこちら側の応援が必要不可欠なんだと、それを叶えるためにできることはあるんだと、スーッと納得することができた。
つくづくわたしはこの人の思想と思考と思慮のファンです。


じゃあ寿命を延ばすにはどうしたらいいんだと、次はそれと向き合うことになるんですが
これもまた分からないですね
応援を続けること、はそれはそうと思うし、客を増やす努力を客ができるかどうかというのもきっとある。お金を払うこと、ももちろんあると思うんだけどそれは「生き残ってもらうためにやること」な気もしていて、じゃあやっぱりそれは愛なんだろうか。
寿命を伸ばす、という言いかたにはそうやって考えさせられる幅や奥行きがあり、やさしい表現だなと思います。


こたえは人それぞれ違うと思うけど
わたし的にはひとりよがりにならないこと
傲慢にならないこと
あなたが大切なんだと伝えること
そのために時間を惜しまないこと
自分が楽しくあれること
そういう愛であることなのかなと思います。
あとは、平均寿命ではなく健康寿命を延ばすという気持ちとかかな。

映画『お嬢さん』のなかの屋敷から逃げ出すシーン、
塀の前で立ち尽くすお嬢さんに侍女のスッキがトランクで階段を作る場面があって、わたしはそこが大好きで、このような愛でありたいとずっと思っています。


やさしい記憶とか目にしたうつくしい瞬間、素敵だと思ったところ、
できるかぎり文字にして残しておきたいし伝えられることは伝えたい
質量をもつものでありたい、それは中身でもいいしただ単に文字数ということでもいい
いつかその人が塀を乗り越えようと思うときに、助けになるなにかであれればいいといつでも思っています。これも傲慢だろうか。


今日(9/15)アイソトープラウンジでライブを見て、超かっこいいな~と思いました。
わたしがあなたたちを見つけることができた日から今まで、わたしのなかでずっといちばんにかっこいいよ。
ここまで何事もなく、とはいかなかったけど、毎日楽しく生きさせてもらっています。


2018年1月から、「後悔のないように」を主軸に応援することだけは絶対にやめようと決めています。
でも、「後悔のないように」という気持ちはわすれたくないしずっと頭のなかにあります
これからもそのようにあり続けると思います。いつもありがとうございます。
見つけられてよかったな~


お互い長生きしましょう!


これは全然関係ないんだけど、いい写真だなと思った2017年の写真です

おわり


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