二丁目の魁カミングアウトというグループは、意図的に男性性を隠すことでバランスを保っているように見えていたから、
少年的な愛くるしさと青年的な美しさを強く持つ日が紅さんを新メンバーとして迎えいれたのは、当初正直ものすごく意外だった。
陽キャだ、陽キャじゃないという区分けの話になることも多かったように思うけど、
個人的にはそういった乱暴なくくりで分けるというよりかは、たくさん日の当たる道を歩いてきた子なんだろうな、というふうに思う。いつかぺいさんが「たくさん笑ってきたんだろうなと思う人」という表現をしていたのが感覚に近い。
自らの痛みや苦しみを、後悔を、
切り離したくても切り離せない過去を、
そういったものを開示して、差し出して寄り添おうとしてくれるグループなんだと思っている。
そういうグループの性質上なのかな、やはり紅さんの朗らかすぎる人間性は異質で際立っているし、
紅さんを選んだミキさんはたしかに「いまのミキさん」なのだと思う。
おなじタイミングで加入した筆村栄心さんがあまりにも「二丁目の魁カミングアウト的」であったのとは対照的に、
紅さんは「二丁目の魁カミングアウト的」でない人だったように思います。
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日が紅さんは「健康」がかたちになったみたいな人で、元気でいつも一生懸命でまっすぐで、よく食べよく笑い、声はデカい。
超かわいい(はい)
これは文字で説明するよりご本人のキャスを聞いてもらったほうが手っ取り早いだろう。
キャスでは毎回(これはガチで毎回)ごはんのお話しをしているんだけど、
それを聞くたび、ご家族にたくさん愛されて育ってきた子なんだろうとしみじみと思う。
圧倒的陽の人である紅さん
それに対してわたしというオタクは陰も陰のド陰、絵に描いたようなキモオタクなので
生きてきた道すじが違いすぎて正直怯えることもあるし、140字詰め詰め感想ツイート連投みたいなオタクスタイルで怯えさせないか不安だった。
エネルギーのすごい人なので、こちらの精神がすこやかであり続けないときちんと応援できないなと思ってる。
自分がもともと悲観的な人間なのでなおさら。
これはめっちゃ気をつけてます
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結果から言えば、いまは日が紅さん推しとしての人生を歩んでいるわけだけど
さすがに紆余曲折あったし、即決断というわけにはいかなかった。
前体制の二丁目の魁カミングアウトに出会って、はじめての現場で白鳥白鳥さん推しになったオタクだった。
そして、グループ内推し変は犯罪級に罪が重い、という意識がずっとあった。
グループ内推し変をするくらいなら他界したほうがいいだろと思う自分もたしかにいる。
そもそも「推しがアイドルを辞め、その後同グループに加入した新メンバーを推す」のはグループ内推し変なのか
友だちはずっとそれはグループ内推し変ではないと思うよと言ってくれていたけどわたしは結局いまだにわからない。
そもそももう推しがいなくなったグループを応援し続けることができるのか?
人生を賭けて推したと言えるアイドルふたりともがアイドル辞めたんだからアイドルオタク自体辞めたほうがいいのか?
とか、いろいろ考えたしいまも考えるけど、とにかくわたしのなかで後ろ暗さのある決断だったのは間違いない。
それくらい自分のなかにある「推し」という存在はあまりにもおおきくて重要だ。
なので今こうなれててよかったね~って話ですね
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たぶんまあ紅さんだろうけど、の
「たぶんまあ」と「だろうけど」が取れるまでに春までかかった。
これは早かったんだろうか、遅かったんだろうか
あとから思い返したらいや爆速で推し決まってるじゃんって思うのかもしれない。
これだ、という鮮烈な瞬間があったわけではない。
大丈夫かもしれない、って線を踏み越えるための積み重ねの瞬間瞬間がたくさんあった。
すごくよく覚えているのは、今年の1月にあった対バンのKASSEN、
有観客自体が3回目、2021年に入ってからはじめての有観客という状況だったライブ。
パラレルヤワールドの最後のところ、
「全て変わったようで 何一つも変わってないのかわからない」ミキさんとぺいさんが立ち上がって歌うところ
白い光のなかでひざまづいて俯いている紅さんがその歌詞を口ずさんでいて
その姿があまりにも切実すぎて、それを見て、ああ大丈夫じゃんと思った。
ここまでずっと大切にしてきた大切なものを大切にしてくれる人だと信じられた。
ステージの上の一瞬でなにが分かるんだと思われるかもしれないけど、理屈じゃなかったんだよな
結果、その「大丈夫じゃん」は正解だったし
なにより紅さん自身が正解にしてくれた。
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すこし特典会の話をします
(特典会の話って不特定多数に見えるところでするのはすこし違う?というか、自分の主観しか存在しないものなのでちょっとあれだよな〜と思っているんですが、します!)
以前にあった紅さんとの一対一でのオンライン特典会の際に、紅さんが
「ぐりさんは(自分のこと)キモオタって言うけどそんなことない、ちゅらさんどーオタですよ」と言ってくれたことがあった。
このときの気持ちを想像できるだろうか
わたしはいまだにうまくことばにできない
めっちゃすごくない?
自分がキモくないんだって誰かに分からされたの人生ではじめてだったよ。
(わたしの自虐を見て言ってくれたこととは思うんだけど)「キモオタ」ってめっちゃストレートに言ってくるのとか
「ちゅらさんどーオタ」っていういとおしすぎる造語繰り出してくるのとか
そのあとに、でも僕もたぶん応援してる側だったらこんな応援…とか言っちゃうかもしれないけど、確実に僕のパワーになってるから自分のことすこしだけ褒めてあげてくださいね、って言ってくれたやさしさも含めて
あまりにも日が紅さんって日が紅さんすぎる〜と思った出来事だった。
めっちゃすごい
おばあちゃんになってボケたら毎日これ話してそう!
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日が紅という光の動詞にミキさんは「照らす」を選んだ。
光るでも輝くでもなく、照らす
「光る」の光はひとりでも放てるけど
「照らす」の光は、照らされるだれかがいないと現れない光だ。
光をもちいて明るくするために使われる光
たぶんそういうかんじなのかな。
いや、もうほんとうにそれでしかないよね
日が紅さんを表すことばにこんな的確なものないんじゃないか。
だれかの大切にしているものを大切にしたい、するんだと思える姿勢
だれかの大切にできないものも大切にしようとしてくれる姿勢
「照らす」でしかないと思うし、ある種「二丁目の魁カミングアウト的」と思う。
そう思いながらも、「的だ」「的でない」でくくるのも的外れなのかもしれないなと考える。
この人の持つ光はこの人の育んできた人間性で、それ以外のなにものでもない。
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いつかのライブのMCのなかで、最近ライブが楽しいんです、って泣いてしまったことをミキさんにバラされていた。
最近自分の好きになったところというテーマトークで、いままでは音楽を音でしか聴いてこなかったり、悲しいことを表現しちゃいけないっていう意識があったけど、最近は悲しみをステージで表現できるようになってきているところ、と言っていた。
そのことがすごくすごくうれしかった
泣いてしまうくらい楽しいと思える瞬間を目にすることができているということもそうだし、
ふつうに生きていたら、人が悲しみを表現できるようになっていく姿を目にすることなんてはたしてあるのだろうか。
そして表現できるようになっていく自分を好きだと言える瞬間に立ち会えることなんてないんじゃないか。
1周年記念ライブのときに、ありのままを表現していっていいんだと思えた、って話してくれたのもうれしくてたまらなかった。
アイドルオタクとして、ものすごくしあわせな瞬間瞬間を見させてもらっている。
反面、きっとこちらが思う何倍も大変だったことと思う。
練習も日常も本番もそうだし、「変わる」ということにはものすごくエネルギーがいる
今まで歌詞を読んでこなかったと話す人が、こんなふうに表現できるようになるまで、表現できると言えるようになるまで、どれくらいの挫折や苦しみがあったんだろうと思う。
でも、客席から思い出せるあなたの顔は笑っている顔ばかりだ。
そういうことなんだろう
お水を飲むときに必ず客席に背を向けるところ
He is me,tooでふたたび持ったマイクを後ろ手で回して持ち直すところ
いつだって根本まできれいに染まった髪をしているところ
そういうひとなんだよなあ
暗い部分をさらけ出していいんだと思えたと話してくれたことがとても大切だった。
同時に、表舞台では笑顔しか見せてはいけない、と決めて生きてきた紅さんの姿勢がわたしは大好きだし、大切にしたいと思っている
それは間違ったことなんかではなく、たしかにあなたが培ってきた強さだ。
隠そうとしてくれている部分を暴こうという気は微塵もない。むこうから開示されることがなければこちらからも触れることはないと思う。
でも、あなたのそういうところ(これはほんとうにいろんなところがあります)を、とても大切に思っていますということを
どこか隅に置いといてくれたならとてもうれしいことだ。
大切にしてくれたぶん、それ以上、大切にしていけたら、恩に報いられたらいいと思っている。
大切にします
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「日が暮れない、沈まないなんてことはほんとうはないんだけど、それでも、と言える強さを持った人」
以前、トークショーのなかでミキさんはこういうふうに話していた。
日が紅は祈りと約束の名前だ
「でも約束とは希望なんだから今でも」だし、「誰一人消えないで」なんだと思う。
こんなにもミキさんの思いが注がれている名前にもかかわらず、日が紅とはなんてこの人そのものみたいな名前なんだろうといつでも思う。
この名前を持ってして「名は体を表す」と思えるのはこの人くらいなんじゃないだろうか。
それも、二丁目の魁カミングアウトになって変化した部分というよりは、日が紅になる前から持ち合わせていたたくさんのものにこの名前はぴったりな気がする。
ミキさんはこれが見えていたのかな。
ロミオとジュリエットのなかで、ジュリエットは「あの美しい薔薇の花が他の名前で呼ばれようと芳しい香りは変わらない」と言う。
日が紅さんが日が紅さんにはならない人生だったとしても、あなたは今みたいにほかのだれかに笑っていてほしいと願われるような、
幸福でなければならない人だったろう。
ずっとふわふわとしたことしか書いてない文章だけどここだけは断言する。
それでも、だからこそ
アイドルにならなければ、二丁目の魁カミングアウトにならなければ、日が紅にならなければ
その名前のつけられた人生でなければ味わえなかった幸福を、たくさんたくさん享受してほしい。
できるかぎりたくさん、できるかぎり長い間
そういうことばかり願っています。
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こんなごちゃごちゃ考えても、書き連ねても、ステージの上で笑う顔になにひとつ敵わない
そういうところが好きです。
これからも悩んでたこと全部無駄にしてほしい。
日がち!笑ってくれ!愛してる!
今日という日がかぎりなく幸福でありますように!
おしまい
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