昨日と同じように(20210620 RAD JAMのことなど)


これたぶんだけどあともう一曲ある、と思った。
そっ閉じの2ばんのサビで拳を上げているときだったと思う。ここで終わったらすこしだけ不完全燃焼な気がして、わたしはこの人たちのライブで不完全燃焼だったことはかぎりなくすくないから。ただ、現体制でのそっ閉じというのは現段階でのかなり強いカードを切っている状態で、それに勝てるようなロイヤルストレートフラッシュで、かつここまでの二日間やっていなくて今日もやっていない曲(今回の遠征では一曲も被らないようにすると言われていた)で、って考えたらわたしのなかではひとつしか思い浮かばなくて、でもさすがにな、とか考えていたらイントロの鐘の音がきこえてきて、やられたー、と思った。わたしはこの音をずっと鐘の音だと思っているんだけどほんとうはなんの音なんだろうか。ライブ後の特典会でやるなんて聞いてないよー、と言ったら、やるなんて言ってないから、ってぺいさんはしれっとしていた。

yesterday the once moreのどこでいちばんやられてしまうかって、わたしは時期ごとにけっこう違っていて、なんだかこれはリトマス試験紙みたいな曲だ。

2017年秋のきまるさんプロデュース公演でわたしは前情報なくこの曲をきいて、「僕らもう出会えたから」って客席を指さす姿に本気でびっくりした。カルチャーズ劇場でもう一度きいて、おなじ歌詞にまたびっくりした。出会えたんだなあ。この日にわたしはこの人たちをこれからきちんと追いかけていくんだろうと漠然と感じていた。

すっかり好きになってしまっていたけどまだ遠征に行く、って選択肢ははなから存在していなかった北海道遠征のときにわたしは家でひとりでこの歌のことを考えていて、この歌に出てくる青は「あの青」なところ、道は「この道」なところが好きだ、とすごく思った。だれの記憶にもひとつひとつ違うあの青やこの道があって、その人だけの思い出とこの歌が強く結びつきあってとくべつになるんだと思えるから。そしてミキさんのなかにははっきりと頭に浮かぶ状態で、「あの青」や「この道」の光景があって、遠くに行ってしまいそうで怖い、と言っただれかがたしかにいるんだろうなと思う。ミキさんがそういう愛情深いひとなんだともうこのころから分かっていた。

2018年1月に好きだった女の子がアイドルを辞めた。どうしたらいいのかわからないまま二丁目さんの現場には足を運びつづけて、でもライブ中もその子のことを考えてしまうことが多かった。見るのがどうしてもこわかったシンポジウムリフレインはそのことがあってから二回めくらいのライブで速攻で目にすることとなってしまった。三日間つづいたフリーライブの最後の日にyesterday the once moreをやったように記憶していて、「もし会えなくなったとしても昨日と同じようにどこかで笑っていて」って、ほんとうにそうだなあ、どれだけずたずたにされてもそうでしかないんだなあってたまらない気持ちになった。ライブ後の特典会でミキさんは泣いてたでしょ、ももクロのこと考えてうたってたんだよ、つたわった、って言ってくれてミキさんは魔法つかいみたいなひとだなあと思った。それが嘘だったとか真実とかわたしはどうでもよくて、ミキさんがそう言ってくれた気持ちだけがほんとうなんだと今でも思う。

わたしがこの現場でずっとずっとたのしくてしあわせだったのは、間違いなくステージに立つ白鳥さんがいつだってうれしそうで、瞬いて変わりつづけてくれていたからだ。まんがの蟲師に露を吸う群というお話しがあって、それは寄生した蟲とおなじ体内時間を生きて、一日だけの生涯を毎日繰り返す女の子の話で、「一日一日 一刻一刻が息をのむほど新しくて 何かを考えようとしても追いつかないくらいいつも心の中がいっぱいだったの」というせりふをそのまま自分の実感としていつも思い出していた。「蕾は花になることを繰り返すけれど 同じように僕らの出会いも繰り返そう 繰り返そう 繰り返そう 繰り返そう」って詞そのままの毎日だった。いつだってはじめて出会って出会い直して好きになりつづけていてこんなしあわせなことってなかった。

2020年1月の福岡遠征の最後に、yesterday the once moreが流れだして、今思えばこれがさいしょでさいごの三人体制のyesterday the once moreだった。ライブでこの歌を目にしながら思う「昨日と同じでいい」って、いつだってどうかこのままこの時間が終わらないでくれって胸がいっぱいで泣きたくなる気持ちと同義だった。この日だけは、もう時間を進めないでくれ、四人じゃない時間を進まないでくれ明日が来ないでくれって未練がましく思ってしまった。こんなに救われない気持ちでこの曲を見る日が来るなんて思ってもいなかった。

そうしてふたりがふたりになってから、新メンバーが発表される直前くらいの配信でミキさんとぺいさんはこの歌をうたってくれて、そのときに、ああ四人のお話しはここで終わったんだ、と分かってしまった。全身の力が抜けて、でも晴れやかな気持ちで、いまこのときにふたりでこの曲をうたうことを選択してくれてありがとうって思った。「もし会えなくなったとしても昨日と同じようにどこかで笑っていて」と「僕らもう出会えたから」がおなじ歌のなかに存在することで祈りが完成するこの歌が好きで、この曲がはじまった時点で(もしかしたらもっと前から)わたしたちはおおきな祈りのなかにいて、でもそれに気づくのは「僕らもう出会えたから」って指さされた瞬間で、水を張ったバケツにえのぐを落としたときみたいに、そのことに気づいていなかった時間までぜんぶ一瞬で色づくようなあの瞬間を愛している。

で、ここからが当日感じたことでここまではいままで感じたことでしかないんだけど(長!)、前述したとおりyesterday the once moreではどこの部分にやられてしまうかってタイミングによって違っていて、でもこの日はほぼすべての詞とかステージ上の光景にめちゃくちゃやられてしまって、あーなんかここまでいろんなことあったよなあ、ってしみじみ思った。「あの日夢見た運命も探してた永遠もいらない」も、「昨日と同じでいい」も、ほんとうにそう思う。「そんな僕の枯れそうな芝生に水をくれて」のときには紅さんありがとうねえと思ったし、わたしはもう一生きれいな気持ちだけで「どこかで笑っていて」って言えないのかもしれないけど、ぐちゃぐちゃになりながらもきっと最後にはそれを思うんだろう。いままでは正直実感が伴っていなかった「今僕らが見てる景色は昔誰かが種を植えて」のシーンが、この日は心臓が痛くなるくらいに実感しかなかった。紅さんも、つづく筆さんもほんとうにいい顔でうたっていた。さいごの手を振るところ、ぺいさんがたのしくてたまらないって顔で体いっぱいにおおきく手を振っていて、あ~超ぺいさんだなあ、ぺいさんのこと大好きだな~ってめちゃくちゃ思った。ここを思い出すと泣いてしまいそうになる。大きすぎる会場の端から端まで届けようとしているみたいだったし、その向こうに向けてでもあったように見えた。

yesterday the once moreは叶わない祈りの歌だからこんなにもきれいなんだといつも思い至るけど、紅さんに日が紅という名前をさずけたミキさんが「ほんとうは日が沈まないなんてことはけしてないんだけど、この人はそれでも日は暮れないんだ、って言える強さを持った人」って話していたことを思い出す。うまく言えないけど、そういうyesterday the once moreだったなあって思える。わたしにとってのこの歌は意味すぎて、この歌の詞を全部まるごと貼ってしまえばそれで済んでしまうようなことをこうやって長々と書いてしまうくらいだけど、それ以上にただただたのしかったんだと、それをいちばん伝えたいしわすれたくないなと思う。



今回この名古屋の遠征に行くことをわたしはとくになんの感慨もなくあたりまえのように決めていたけど、よく考えてみたら一度推しをうしなってからはじめて行く遠征だった。
あたりまえだけど遠征は近場に行くよりもよりお金がかかるし時間もかかるので、わたしは好きな人や見たいものがたくさんあっても全部を選ぶというのは到底無理だから遠征に行くのは本命って言えるひとたちにしかしないと決めている。決めているからこそなにかがすこしでもずれていたらこの日名古屋にはきっといなかったし(あえてこの言葉を使うが)とっくに他界していてこの日のことをそもそも知らない可能性もめちゃくちゃあったんだろう。だからまたこうして名古屋に来れたのは紅さんのおかげだ。

推しをうしなったとしても人間はけっして死にはしないしふつうに生きていける(二度経験済)。生きていけるんだけど、生きていくうえでのピントが合わなくなってしまう。なにを見てもなにを考えていても曖昧にぼやけて感じられて、中心に据えるものがなくなった状態で聴く歌はなにを言っているのかよくわからなくて、ライブに行ったとしてもどこを見ていいのかわからなくなる。どこに行ったらいいのかわからなくなる。推しがいなくなるとすごく困る、というのがわたしの経験からの結論です。でも、困るからといってすぐに決められるものではないのがまた困るところで、かつグループ内推し変は万引きよりも罪が重い(諸説あります)から、どんなに紅さんがかわいくて大切でも友だちがこれはグループ内推し変ではないと思うよと言ってくれても決めきれない時間は長かった(時間にしたらそんなに長くはないのかもしれなけど、体感はすごく長かった)。決まってよかったー。

今回の遠征はこの現場にきてからしばらくいっしょにいる友だちといっしょにいて、土曜の対バンが終わってから帰ってきたホテルでさっきのライブ中に日がちがこの歌詞でこっちのほう見てくれた気がしたのかわいいな〜って思ったんだけど全然どこだったのか覚えてないんだよね、という話をなんの気なしにしたら、わかる、わかるんだけどどこか覚えてない!って返してくれて、そこから音源流したりとか動画見ながらいっしょに思い出すために頑張ったりしていた。いつかのカルチャーズ劇場で、最前のいちばん上手の端っこにふたりで座っていたライブの終わりに、カエルのしんでもわすれないさで白鳥さんがこっちを見ていてくれていた気がしてうれしかったねといっしょに言いあったこととか思い出していた。はじめからいままでずっと推しがいっしょで、だいたいおんなじような回数おんなじような場所でライブを見ているとこういうことが起こったりする。好みが違いすぎてもう推し被りにはならないんじゃない、とか言っていたけど、またこんなことになってしまってうれしいなと思う。きのうまでがぜんぶ戻ってきたみたいに思ってしまった夜だった。
(友だち、もうすでにふつうに友だちすぎるのでこういうオタクの文章のひとつの要素みたいにしてしまうの消費しちゃってるみたいで嫌だったのであんまりしたくないんだけど、どうしてもうれしかったし切り離せなかったので書いちゃった!無許可!)

金土日と三日間ある遠征でわたしは二日めの土曜からで、やっぱりもちろん三日間見たかった(大好きなカエルとノスタルジスターやるなら金曜の自主ライブだろうなってわかっていたし実際そうだった)けど、土曜の対バンの一曲めで紅さんがうたいはじめたとたんに、ああ来てよかった、と思った。もうそろそろすっかり知っているひとだとばかり思っていた紅さんがまったく知らないひとみたいに感じられたから。またこうやってひとつのライブごとに生まれて死んで何回も出会いなおせるようなアイドルを好きになれたんだと思った。どうかこれからたくさんたくさんきれいな光景を目にしてほしいし笑っててほしい。ステージの上であなたが笑っているとわたしは許せないこともみんな許せてしまうような気持ちになる。

よくこうなってしまうやつ
自分で選んで勝手に行ってるだけなんだけど、それでも連れてってくれてありがとうって気持ちになってしまうな。これからもどんどん全国連れ回してほしいし、こんなふうにべらべらと内訳喋ってしまうどうしようもないぜんぶをどうかステージひとつで無駄にしてほしい。

いい名古屋でした!

OS1ゼリー

ぐりという名前です。アイドルオタクの気持ちブログ。

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