と言っても、なにから話せばいいのだろうか
どう言葉にしたらいいのかいまだにわからないことの話をします
現在(2021年冬)開催中の全国ツアー、GAY STAR IN THE JAPAN TOURの3公演めは日が紅さんの出身地でもある沖縄で行われた
ツアー前日にも沖縄でイベントを行い、昼はビンゴをまじえた企画ものライブ、夕方は沖縄にちなんだアーティストの曲を歌うカバーライブ(と通常ライブ)
どちらも、旅先の浮ついた気分で楽しむステージというかな
前のめりにライブだ!というよりかは、ツアーの前哨戦くらいの心構えでいた
いたんだよね〜
いつものチェックの衣装にアロハシャツを羽織ったふうの四人が登場して、和気あいあいとしてはじまるカバーライブ
紅さんの出順は予想通り四人のトリの四番手で、前の出番の筆さんの歌が終わってワンテンポ遅れて袖から現れ、いつものようすでふわふわと筆さんを讃えていた
(いま思うと、ここでワンテンポ遅れて入ってきたのは、呼吸をととのえていたりしたのだろうか、とか考える)
筆さんが退場してひとりステージに立った紅さんが、今日うたうのはBEGINの「島人ぬ宝」とおしえてくれた
二丁魁に入ってからずっとあたためてたんです、ととっておきの秘密をおしえてくれるみたいにうれしそうに話してくれて、
あらためてこの曲をきいてみたんです、とも話してくれていたかな
曲のなかの詞を一節そらんじてくれた、そのとたんに、声が揺れたのがわかった
いつの日かこの島を離れてくその日まで
大切な物をもっと深く知っていたい
一瞬の決壊だった、それまで微笑みながら話していたのになあ
その瞬間にこの日が、この時間がどれだけ重いものだったのかを知る
はやくここを出たいと思っていたんです、こんなちいさな場所じゃ輝けないじゃんって、ずっと思っていて、沖縄が大好きなことは前提でね、でも、離れてからどんどん大切になっていって、だからこうしてお仕事で沖縄に戻ってくることができてすごくうれしいんです(いまのこの状況を、お仕事、と言うところがわたしは大好きでたまらなかった)
正しく覚えていられていないけど、こういうようなことを涙まじりに、ていねいにていねいに伝えてくれた
紅さんが声を詰まらせはじめてからすぐに、ずっとうしろのほうから、頑張れ!!!頑張れ!!!と男性が叫ぶ声がきこえてきて
一瞬だれかが耐えきれず叫んでしまったのか、と思ったけど、すぐにぺいさんの声だとわかる
生誕のときにもおなじようなことを書いたのだけど、ステージの上の人にわたしたちは干渉することはできなくて、でもわたしたちの思う対象を助けたい、助けなければ、ってタイミングがあって、それは一瞬で過ぎ去ってしまうもので
だからぺいさんがあの瞬間に叫んでくれたこと、心からありがとうと思います、あの瞬間でなければきっと間に合わなかったから
わたしはわたしが思わず禁を破って叫んでしまったのかとすら思った、そしてきっとそう思ってしまった人がたくさんいた
みんなあのときのぺいさんとおなじ気持ちだった
故郷だと、帰る場所だと思ってほしいというのはおこがましいかもしれない、でも、二丁魁を第二のふるさとだと思ってくれたなら、
お話しの最後にはおだやかに笑って、そうして歌いはじめてくれました
ほんの一瞬前まで、ほろほろと崩れ落ちそうに泣いてしまっていた人とは思えないような、深く根の張ったような、気丈でおおらかな歌声で
それをきいたら今度はこちらの涙が止まらなくなってしまった
まだいまの体制がはじまったばかりのとき、どこかぎこちなく二丁魁の詞を歌う紅さんを見て、この人はきっと、自分の生まれ育った地の音楽ならもっともっとうまく歌える人なのではないかなあと感じていたことをぼんやり思い出していた
あなたがふるさとの歌をうたうのをはじめてきくことができた
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歌が気持ちや意味をつたえるツールだとしたら
わたしはこれ以上のものをきいたことがないし、この先も耳にすることはないのかもしれない
そう思ってしまうくらいに特別な時間だった
言葉で説明しようとしてもあまりにも手立てがない
内地で生まれ育ったわたしたちには、きっとわかりきることのできない重みや質量があるのだと思う
目の前で歌うこのひとの見てきたものや感じてきたもの、今日この日まで秘めてきた思いすら知ることはないだろう
それでもこの歌では、この島で生きてきてさえ、星の名前も、自分にできることも、伝わっていく歌の意味もわからないけど、それでも、それは誰よりも知っていることなんだと歌われる
誰に教えられるでもなく、生まれた地の海や空にふれて、まわりの人の愛に育まれて、日々のなかで「それ」は焼きついていくものなのだと
理屈抜きで、このときのこの人の歌で、歌う姿で、そのことがわかったような気がした
このとき、紅さんの目をとおしてたくさんの光景を見ていたし、ふれたことがないからこそ歌というものが在るのだなあと、そんなことを思う
すこし前まで、詞を読んでこなかった、と話していた男の子が、いまこうやって、歌をとおしてつたえてくれているということ
それが誰よりも、いままでの人生できいてきたなによりも鮮烈で得難い体験だったということ
つたえられるようになるまでの過程を、つたえたいと思うまでの過程を見届けてられているということ、
そしてその自分は、あなたやみんながかたち作ってくれているものだ、と思ってくれていること
なんてことだろうと思う
だれかを応援するものとして、なんて、なんて恵まれているんだろうか
これは、日が紅さんが日が紅さんにならなかったら歌えなかった歌だった
この日に立ち会うことができてよかった
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堂々と歌う姿も、間奏でサプライズでメンバーが走り寄ってきて手作りの「おかえり」「凱旋おめでとう」を掲げられ、ずっと泣いているぺいさんに抱きしめられた瞬間にまた泣きそうになってしまうところも、最後は笑顔で届け切るところも、全部が全部日が紅さんそのものの光景だった
この紙を作るために(沖縄の)ドンキでいろいろ調達しようとしていたのに、ずっとついてくるから仕方なく鬼ごっこはじめたってミキさんが話してたのも愛すぎたな
こちらはずっとずっと涙が止まらなくなっていたのだけど、曲のあいだに満面の笑みで沖縄風の合いの手を入れる姿を見たら泣き笑いになってしまった
(前回のカバーライブで紅さんはPOP STARを歌ったのだけど、そのときに自分で考えた振りを踊っていて、それを見たときの気持ちによく似ている、いとおしくてたまらない気持ち)
知久寿焼さんが沖縄で歌うこの動画がわたしは大好きで、わたしのなかの勝手な沖縄のイメージは、海も空も木々も置いといて、こうやってたくさんの人が肩組んで歌う光景だったの
紅さんの合いの手をきいたときに、わたしは一瞬でこの光景を思い出した
筆さんがこのあとのMCで「ほんとうに沖縄の人なんだって思った」と話してメンバーに笑われていたけど、これはほんとうにそうで、わたしのなかの沖縄と紅さんがたしかに結びついたとき、わたしもそんなふうに思っていたよ
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「二丁魁に入ったときからあたためていた」のだとしたら、今日この日に歌うことはいつ決めたのだろうか
前回のカバーライブは秋に行われて、でもそこではほんとうは夏の終わりにやるつもりだった、ともお話しをしていて、じゃあツアーは、この沖縄凱旋はいつやることを決めたんだろう、とかそこまで考えたりして
なんで企画をやるにしてもカバーライブをやるんたろう?と不思議に思っていたけれど
紅さんの最初で最後の、たった一度きりの凱旋を大切に大切にしてくれたからこそ、今日この日があったのだと思います
この次の日のツアーで、新曲として四人での隕石に願いをが歌われたとき、yesterday the once moreが流れ出したときに、そのことをより強く感じた
わたしが言うことじゃないけれど、紅さんの凱旋を大切にしてくれてありがとう
島人ぬ宝が歌われているあいだにもこのことに思い至って、それも相まって泣いてしまったんだよ〜
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いつの日かこの島を離れてくその日まで
大切な物をもっと深く知っていたい
紅さんの歌がこの詞に差しかかったとき、この歌はいつかくるお別れの歌でもあることに気づく
この島を離れてく、は文字通り沖縄を出て上京していくことでもあるんだろうし
天寿を全うしてこの世を離れるときでもあるんだろうと、そんなふうに思った
有限の時間のなかで、日が紅さんが日が紅さんになっていく姿を目にできること、こうやって夢を叶える姿を見届けられること
この日のこの時間、この歌をとおして、紅さんの人生を分けていただいていたこと
一生わすれない、と思った
いつかはわすれてしまうのかもしれないけど、それでも、今日このとき一生わすれたくないと思ったことだけがほんとう
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このときのこの気持ちを文字に起こすことを悩んだ
たとえ文章にしたとしても、この体験はつたえきらないだろうし、表しきれないだろうし
わたしにとって文字に起こすことは、記憶をそのまま出力することではなく、記憶を分解して確認して再構築する作業に近い
このときの気持ちとか記憶を、できることならなにもふれずにそのままでとっときたい気持ちがすごくすごくあった
でも後日、紅さんがお渡ししたお手紙をうれしかった、と言ってくれたので、やっぱりできるかぎり伝えたいなと思いました!
素敵に思ったことがすこしでも多く伝われば、あなたの糧になれればと思うし
言葉で伝わらなかったとしても、ステージを見ている姿がやっぱり全部です
とにもかくにも、ただただありがとう!
わたしの葬式では島人ぬ宝を流してください
おしまい
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