ミキさんのキャスでひふみよのことを話していた箇所をちょうどそこだけ聞き逃しているっぽいのに気づいたので
ちょうどいいかなと思いここまでの雑感をなんとなくまとめておきます
(現場披露済み、歌詞認識済み、振り解説済み、歌詞解説未くらいの段階です)
情報が増えるたび印象ががらっと変わる曲なので、途中の段階を残しておきたくなりました
新曲『ひふみよ』歌詞公開!
— ミキティー本物【二丁目の魁カミングアウト】 (@mikity_sakigake) January 9, 2022
作詞:ミキティー本物
作曲:サクライケンタ
編曲:サクライケンタ pic.twitter.com/jPl2TyA3oL
まずわたしが引っかかってこんがらがっていた部分が
「なんではじめは記憶の話をしているのに、最後はあなたの好きなところの話で終わってるんだろう?」というところで
これに関しては、わたしは数えられる対象(記憶やあなたの好きなところ)を軸とした歌詞だとばかり思っていたんですが(それももちろんあると思うけど)
数を数える行為が軸となっている詞なんだな、というのをようやく気づきました
ひとつふたつみっつよっつ
思い出を数えてみるけど
ひとつふたつみっつよっつ
幸せを数えてみるけど
ひとつふたつみっつよっつ
嘘を数えてもみるけど
ひとつふたつみっつよっつ
後悔を数えてみるけど
ひとつふたつみっつよっつ
自分の好きなところを
数えてみたでも少ないから
途中で止めちゃうけど
いつつむっつななつやっつ
君の好きな所の方が
たくさん数えれる
つまり幸せ
なんてそういうこと?
ていうか、だからこのタイトルなんだろうし今さら?と思われるかもですが
わたしはこういう部分のこんがらがりを解かないとそこで止まってしまう性質なのでほどけてよかった
動詞を軸にしていると、オムニバス作品のような印象を受けるんだなという気づきもあり
伊坂幸太郎さんの「終末のフール」とかもこういう感覚な気がする!
全然別ものだけど感覚の話です
イントロからずっと流れるピアノの音がとても印象的で、
ほかのケンちゃん曲に比べてもめちゃくちゃケンちゃん曲!!となるのはこれが要因かな
ツアー広島でひふみよの次に耳すまが来たとき、ミキシング変えてる!?って思うくらいにピアノの音がおおきく聴こえて、いつもはそんなこと思わないのに、耳すまってケンちゃん曲だな~としみじみした
ひふみよの次にケンちゃん曲を置くとケンちゃんみが上がる説、実験してってほしい
記憶とは一人一つ
用意されたタイムマシーン
逃げ出したい時には頭の引き出しの中 飛び乗る
わたしは現場に足しげく通うオタクになってから
ライブ映像とは現場で見た記憶の再生装置にすぎないのかもしれない、と思うこともあって、そのことを真っ先に思い出した
じゃあ、記憶とはここで書かれるように、自分の望む地点にそのまま戻ることのできる万能な装置なのか、というとけしてそんなことはなく
この次に歌われるように「少しずつ薄れてく」ものでもあるし
ライブ中にこの光景絶対にわすれないわすれない、ととなえてしまうような瞬間があっても、ライブが終わったらもう思い出せないことのほうがほとんどだし
特典会でお話ししたことをメモしておくのをサボりつづけているわたしは、うれしかったことだけを覚えていて、その中身はまったく思い出せない、というのもざらにあるし
記憶は自分の思っている以上に不確かではかないもので
だからこそミキさんも「この一瞬を永遠に残すことはできない」し、「ぬくもり名前さえ忘れていく」し「キレイキレイなこの景色もいつか忘れてしまうなら」とうたいつづけるんだろうし
なにもかも忘れてってしまうわたしたちだから、その詞がうたわれるとき決まって泣いてしまいそうになるんだろう
でも少しずつ薄れてく
見慣れた景色だとか
あの窓はどんな形?君はどんな顔で笑ってた?
この「窓」はむかし住んでいた家の窓だというふうにミキさんはお話ししていて
(ここくらいの内容からキャスを聞きはじめました)
「あの窓」という言い回しにyesterday the once moreの「この道」を思い出す
ミキさんのなかにはたしかに思い浮かぶ景色があって、それはわたしたちには分からない
けれど、各々「あの窓」や「この道」とおなじように思う景色がひとりひとりにあって
顔のところに晴れることのないもやのかかった記憶のなかの「君」の光景もひとりひとりにあり
こういう、それぞれちがうけど誰しもにあるもの、みたいな感覚の詞をわたしはものすごくミキさんだなあ~と思ったりする
忘れないから
忘れないでね
約束にさえ逆らってくる時間
ミキさんの詞のなかにある「約束」は、叶えたい約束と叶えられない約束の二種類があると思ってて
ここの「約束」は叶えられない約束のほうだ、と思ってしまう
あとひふみよってめちゃくちゃケンちゃん曲!というかんじが強いからかもだけど
初見のときここでブクガ~…となったな
たかが数十年間
時代は進化をした
運が良ければ愛は片手で見つかるから便利です
でも右手で握手して
左手でナイフとか
隠し持ってるような時代だから
温もりは冷たい
生きづらいような
世の中だけど
私も製作者の一人なんです
二番のここのくだりがどこにかかっているのかがむずかしかったんだけど
ひとつふたつみっつよっつ
嘘を数えてもみるけど
嘘が染みついてて どれが嘘か判断できなくなってる
ここの「嘘」でいいのかな~
こうして流れで見てみると一番と二番はまったくちがうことを話している
みんな思っていると思うが「便利です」の筆さんはほんとうに良いですね
刺すようなうたいかた、ってこういうことを言うのかと思う
詞が分かりきるまでのひふみよに感じていたえもいわれぬ不穏さや不気味さって
ミキさんの「でも右手で握手して 左手でナイフとか」(ここだけ異様に聞き取りやすいのよな)と
「温もりは冷たい」のときのうしろの三人の笑顔で手を振る姿の、詞とのアンバランスさ
このふたつにかなり引っ張られているような気がする
ひとつふたつみっつよっつ
後悔を数えてみるけど
両手じゃ収まらないつま先まで折れるくらい抱えてる
「ここはあたしでしかない」とミキさんは言っていたけどほんまにそう思います
ひふみよって若干当てがきなのかと思うくらいパート割りぴったりと思う
ひとつふたつみっつよっつ
自分の好きなところを
数えてみたでも少ないから
途中で止めちゃうけど
ここをまだ真正面から見られていないのだけど
真ん中に立つぺいさん、その左右に筆さん紅さん、うしろにはミキさんと
リバでぺいさんを掲げるときのフォーメーションとおおまかに同じ立ち位置なのかな
ここのぺいさんの顔を隠すような振りに、わたしはなんとなく紗幕を想像する
人前に出ることのない高貴な身分のひと、お姫さまとかの姿を覆い隠すような
その人のシルエットだけ見えるような感覚
リバで掲げられるぺいさんは、偶像としてのアイドルの象徴や、人身御供的に見えた
おなじフォーメーションで、今度は地面に降ろされた顔の見えない人はなんの象徴かと考えると
アイドルだけどアイドルではない状態、ぺいにゃむにゃむの中の人、
いわゆる生身の「太郎くん」状態なのではないかなと思ったりした
その状態でステージに立っている(本来ではありえないこと)、もしくはアイドルとして見せたくない弱さの部分だから姿が隠されてるのかなとか考えたりする
リバで生贄みたいに掲げられて、「わたしだってそんなつもりで生まれてきたわけじゃない」とうたうぺいさんを見て
ミキさんはなんてことをするんだよ、とずっと思っていた
ぺいさんは二丁魁のなかで、いちばんにファン側から身を預けられているひとに見えていて
それを全部受け止めきれる(と信じられるアイドルである)ぺいさんだからぺいさんは素敵なんだけど、やはり心配になることもあり
その人に「そんなつもりで生まれてきたわけじゃない」と叫ばれるのは、アイドルオタクとしての自分自身の業をそのまま突きつけられているように思えてしまう
しんどいよね
ここはそういう気持ちも思い出しながら見ています
この紗幕のなかのぺいさんはどんな顔をしているんだろうか
あと、紅さんが自身のキャスのなかで曲の情景のお話しをしていて
白黒で数字とか文字が降ってくるかんじ(意訳)と話していて、結構無機質なふうに捉えているんだなとびっくりしたんだけども
この「降ってくるかんじ」がものすごく分かる~と思ったのでそれにもびっくりした
ここのおちサビ、しとしと光が降ってくるようなイメージなんだよな
いつつむっつななつやっつ
君の好きな所の方が
たくさん数えれるつまり幸せ
なんてそういうこと?
一転して、真ん中にいるぺいさんを囲んで、ぺいさんに向けて指折り数える三人
自分の好きなところを数えられなくても、あなたの好きなところをうしろでだれかが数えていて
その数える人のまたうしろにその人の好きなところを数えるだれかがいるんだと
そういう(超意訳)意図の振りなんだとミキさんは教えてくれました
あるあると通じるような部分もあるよね、とミキさんは話していて
でも、「君」と「僕」との真正面からの相互関係のあるあると
「君」の好きな所をうしろから数えるひふみよはまた少しずつ違うんだと思う
わたしは「君」はもちろん「君」でしかないんだけど、「僕」はわたしとは思えない(けど、ミキさんがわざわざこれはあなたのことと思ってほしいと添えてくれたからそう思えないのがめちゃくちゃ申し訳ないな~という)あるあるコンプレックス持ち(嫌な造語)なので
ひふみよのように、うしろから「君」の好きなところをいくつも数えられることが(も)「幸せ」なんだと言ってくれること、救われたような気持ちになりました
いろんな愛のかたちを許してくれてありがとう
ここの指折り数える紅さんはいつもほんとうにほんとうにやさしい顔をしていて
なんかもう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大好きだよね(突然の告白)
ひとりひとつ
たったひとつ
誰もが譲れないものがあるなら
それは僕にとっては
今日までの記憶さ
ここで記憶の話にまた戻ってくる
すこし唐突にも思えるけれど、ここで「後悔」も「嘘」も自分の記憶の一部だったんだとも思えて
冒頭に、数えられる対象ではなく数えるという行為を軸にした詞と書いたけれど、やっぱり「記憶」というおおきなくくりの歌なんだとも思います
君の好きなところも、いつだって記憶のなかにあるわけだし
これからの後悔や涙も喜びも
数えていこう
ここにだけ、「これからの」という明確に未来のことを指す詞が登場する
この前の「それは僕にとっては今日までの記憶さ」も、このあとの「僕のひとつだけ たったひとつ どうか消えないでね」もぺいさんが担っているにもかかわらず、ここだけは紅さんのパートにしたことに、わたしはミキさんの強い意志と意図を感じてしまう(勝手に)
推しメンの話をします!
日がち(普段の呼び方失礼します)はすこやかでおおらかな人だけど、同時に、細かなところまで気にしてしまう性質の人と思います
さっきのここを間違えてしまった、ここができなかった、この言い回しはもしかしたら間違ってしまったかもしれない、と袖に掃けてからすぐに気にしているという話をよく耳にする(主にぺいさんのリークで)
人よりも、後悔をたくさんたくさんたくさん数えてしまう人なんだと思う
そんな日がちだからこそ、この詞なんだろう
ひふみよのなかでも、「後悔」はマイナスのものとしてうたわれるけど
「これから」という未来のなかにある「後悔」は、この先も共に生きていく約束だ
君の好きなところをたくさん数えられること、それはもちろん幸福だし
後悔も涙も君と数えていけるなら、そのことも幸せと呼んでもいいんじゃないか、と
そうやって今までの後悔にも、なにがあるか分からないこの先のことにも光を射せるようなこの詞をうたうのは
日がちでなければ、とミキさんは思ってくれたのではないかなと、そんなことを思う
たくさんたくさん大切な詞があるけど、わたしはここがこの歌のなかでいちばん大切な詞で気持ちです
ここを日がちがうたってくれることほんとうにうれしい
僕のひとつだけ たったひとつ
どうか消えないでね
この「ひとつ」は文脈から考えると「記憶」なんだろう、と思うけど
ここの瞬間のぺいさんを見ていると、「僕のひとつ」は目の前のあなたであなたであなたなんだと
そう言っているようにも見える
というか、わたしはそうにしか見えない
たとえ違ったとしても、そう思わせてくれるアイドルはほんとうにすごい
というようなかんじです
ふんわりオブふんわり!
ええ曲!以上!
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