自分の作りあげたものに名前をつけるのは大事なことだといつかどこかで教わってから、ブログを書いたときには必ずタイトルを決めるようにしていて、わたしはタイトルに好きなJ-POPの曲名を借りることがとても多い。この記事のタイトルもスピッツの同名の曲(超名曲)からお借りしている。生誕によせて、を書く前に、まずはそのスピッツの『大好物』のことを話したい。
『大好物』はよしながふみ先生原作「きのう何食べた?」劇場版の主題歌になっていて、男性同士のカップルの生活を”食生活”に焦点を当てて描いているという物語に合わせて、「食」や「ふたり同士」をあらわすフレーズが多くちりばめられている。
昨年秋に配信リリースされた直後に、これは完全にわたしから日が紅さんへ向けての気持ちをあらわした詞だと思った(出たよ・・・というかんじだけども、草野さんはわたしみたいなのにこれはわたしの曲なんだ!と思わせるような詞を書くのが天才的に優れているんだということは言い訳がましく付け加えさせてください)。
つまようじでつつくだけで 壊れちゃいそうな部屋から
連れ出してくれたのは 冬の終わり
も(歌いだしの「つまようじ」から「食」にまつわる言葉選びなのがかわいい)、
君がくれた言葉は 今じゃ魔法の力を持ち
低く飛ぶ心を 軽くする
うつろなようでほらまだ 幸せのタネは芽ばえてるもうしばらく 手を離さないで
も、
時で凍えた鬼の耳も 温かくなり
呪いの歌は小鳥達に彩られてく やわらかく
も、わたしから日が紅さんへの気持ちそのものだ、と思ってしまうし、こんなに気持ちに近しいと思える情景が浮かんでくることがあるのか、と思う。わたしにとって春の陽光のような人だから。
『大好物』というタイトルも、好きな食べ物のことをあらわす大好物から引っ張ってきているのだろうけど、曲中にはそのままの単語では登場せずに、「君の大好きな物」というフレーズであらわされる。
君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
期待外れなのに いとおしく
君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
そんなこと言う自分に笑えてくる
「君の大好きな物」とは、もちろん好きな食べもののことでもあるだろうし、きっとそれだけではなく、好きな色とか音楽、本や映画や景色やにおい、ありとあらゆるもの全部。相手をいとおしむ言葉にならない気持ちを、「君」の好きだと言うひとつひとつがいつのまにかに自分の生活の一部になっていくみたいな、誰にだってある心のうごきで詞に落とし込まれるやわらかさにギュッとなる(「僕も明日には好き」なんじゃなく、「僕も多分明日には好き」なのがとても草野さんだなあと思う)。で、同時に、「君の大好きな物」って「僕」でもあると思っている。これは何回かぐるぐるリピート再生をしてハッとしたんだけど。君が大好きだと言ってくれるならば、僕も僕のことを好きになれる(のかもしれない)、そういうことを言っている歌なんだと思っている。
話は変わるけれど、アイドルとファンの関係性ってむずかしい。「ふたり」と表現していいとわたしは思ったことがないし、「関係性」と言っていいのかすらわからない。これは特典会で直接お話しをすることができて、コロナウイルスさえなければ手だって繋ぐことのできた環境でアイドルを応援しつづけている今でも。一方的な大きな矢印である、というのはけしてわすれてはいけない側面だとも思う。ただ、日が紅さんを応援して、ときには言葉をかけてもらうとき、ひとりの人間としてきちんと受け止めて返さなければいけないな、とよく思わされる。所詮アイドルとファンだから、って自嘲することで自分を守りにいくのではなく。
わたしの息を吐くように自分を下げてしまいがちなところを日が紅さんは知り合ってだいぶはじめのほうから気にかけてくれていて、つい最近の一対一のオンライン特典会ではほぼ丸々すべてそういう話をしてくれた(それでも、そういう話は一対一のときでしかしないようにしてくれているのがこの人の誠実さでやさしさで、それにとても助けられている)。
「(わたしが)自分にもっと自信を持てるようにきれいとかすばらしいとか言い続けたいと思っていて、それはほんとうに思っているからだしお情けとかじゃなくて、こうやって日が紅として活動しててひとりひとりに自信を持ってほしい、そうやってパワー届けたいって思って活動しているから、(わたしが)自分のことすこしでも好きになれたらいいなって思ってます」って、だいたいこんなふうにお話しをしてくれた。すごくすごく真剣なまなざしで。もし出会った当初にこう言われていたとしたらわたしは一歩引いてしまっていたと思うけれど、もう今は、この人がどんなにやさしくてドがつく真面目で誠実で、嘘いつわりのない人なのか知ってしまっているし、いちファンとしてたくさん大切にしてもらっていると言い切れるくらいに大切にしてもらっているから、まっすぐにありがとうと受け取ることができたし、そう言ってくれたことを指標にして生きていこうって思える。大好きな人が大切にしてくれる身だから、ないがしろにするのではなく、大切にしなければと思える。人から見たら所詮アイドルとファンなのに、と笑われたとしても、そんなことよりもわたしはわたしのために本気で心を痛めてくれた人に報わなければならないと思う。それができなければわたしはきっと人間としての矜持すら失ってしまう。こんなふうに面と話してくれた人はわたしの人生のなかであなたしかいない。
今年度の生誕祭、ほんとうにすばらしかった。はじめのソロから堂々たる姿で、お手紙を読んでくれるときもずっとしゃんとしていて頼もしくて、でも、ミキさんにあなたは自分がしあわせになることをいちばんに考えていいんだよ、あなたがしあわせになってくれることがわたしたちのしあわせなんだよと話されてほろほろ崩れるみたいに、ちいさな子みたいに泣き出してしまう姿をこの先もずっとわすれないだろうと思う。朗らかでひたむきで前向きで真面目で、わたしはこんなすばらしくて大切な人ほかにいないと思うしどれだけ横暴でも偉そうでもそれはそうでしょこんな宝物みたいなんだから、って許してしまうと思うし(横暴な日が紅さんとは日が紅さんでないのかもしれないが)、でもこの人はミキさんにも言われていたとおりいつだって自分より他人のしあわせを優先して考えて遠慮してしまう人で、自信のない瞬間もきっとたくさんあるんだろう。
あなたが自分にもっと自信を持てるようにきれいとかすばらしいとか言い続けたいと思っていて、と日がちがわたしに言ってくれたように、わたしも日がちにおなじことを思うし、言い続けたい。もしこの先、日がちがアイドルではない道を選ぶ瞬間が来たとしても、アイドルでいた一瞬一瞬や、生誕で見た景色が自分の人生を照らしつづけるものであってほしいと心から願っているし、わたしの書いた文章の内容なんて極論覚えてくれていなくていいから、だれかがあなたのためにこんなベラベラと長い文章を書き綴っていたり、たくさんの人に大切にされていて、たくさんの人から愛情を注がれているという事実が自信に繋がる糧になっていてほしい。そうしていつか来るしあわせを掴むべき瞬間に、ためらいなく掴んでほしい。その糧でありたいということがわたしの心からの願いです。
この一年はどんな年だったろうか。沖縄への凱旋があったり、ツアーがはじまって終わったり、全曲ライブがあったり、ツアーがはじまって終わったり、いろんなイベントに出たり、遠征に行ったり、そしてまた生誕があって。こちら側に見えている部分はほんの一部分だろうけど、そのなかだけでもたくさん心境の変化があったりしたのではないかな、と想像していて。今までMCのなかや、こちらと一対一でお話しするときでさえ「あなた」ではなく「みんな」に向けてお話しをしてくれる(そういうところが大好きでもあるんですが)ことが多かったと思うけれど、今年の生誕で読まれたお手紙のなかで「あなたのために、日が紅という存在であり続けたいです」と話してくれたこと。うまく言えないけれど、この一年の気持ちの変化をいちばんにこの瞬間に見た気がして、すごくすごくうれしかった。
わたしもわたしでこの一年で気持ちを動かされることがたくさんたくさんあって、たくさんありすぎてとてもじゃないけど書ききれない。あえてひとつ選ぶならば、ゴールデンウイークにあった福岡遠征の特典会で夜の港付近でのライブのときに、日がちがきっといい光景を見ているんだろうなという表情をしていてそれを見て胸がいっぱいになって、ということを伝えたら、日がちはきっとぐりちゃんがそう思っているんだろうなという顔をしててうれしくなったんだよ、と話してくれて、わたしはアイドルオタクとしてこれ以上の幸福はないのではないかと思ったし、日がちがわたしの最後のアイドルになってほしいと思った(これも、この気持ちの機微をうまくは説明できないんだけど)。だから生誕の特典会で、僕がうれしいと思ったときぐりちゃんがうれしそうに笑っていて、そのことがうれしかったのと話してくれたこと、その思い出とも繋がってうれしかったんだよー!わたしと日がちって全く似ていないと思うけれど、感覚ではテレパシーみたいに繋がれる瞬間があると勝手に思っていて、そのことがうれしくて大切!
これからもどうかたくさんたくさんしあわせな気持ちでいてほしいし、日がちがしあわせでいる時間のなかのほんの一部分をこちらに見せてもらえたらうれしいし、日がちがしあわせでいられるように日がちのことを絶対に大切にするし、日がちが大切にしてくれるわたしを大切にする。君の大好きな物なら僕も多分明日には好き、ってどうか思っていてほしいし、あなたのために思えるように頑張ります。しあわせでいようね。お誕生日おめでとう!
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