4(表舞台に立つということ)


前置き

昨日とおとといに引き続き、推しメンの5日間に渡る生誕祭によせて、推しメンの好きなところを書き連ねていこうという主旨の文章の4日目。

ここまで4日間書いてきて、好きなところを書こう!というテーマのブログはここで一旦区切りなんだけれど、思えば定番かと思われる「推しメンの好きなところ」をテーマに書いたのははじめてで(これもオタク1年生ムーブ!)、書けば書くほど書き足りないとなるのかな、と想像していたけれど、実際に書いてみると、書き足りないのではなく自分の思う「好きなところ」は根っこが繋がっていてつまるところ同じものだから、それを繰り返し書くことが難しかった。思慮も歌唱も言葉もプロ意識も突き詰めればこの人のもつ心そのものなのだ。結局同じことばっか書いちゃってるなー、とずっと思い悩みながら書いていた。そしてそれがまたすごいところなんだよなと思う。


ステージ上で後ろを向いて絶対に客席に見えないようにお水を飲む姿をはじめて見たときに、わたしはあなたのことが一瞬で大好きになってしまった。これがこの人のアイドルとしての矜持で美学なんだとわかったから。

アイドルらしからぬ表情は見せない。アイドルらしからぬ言葉づかいはしない。誰かを傷つける言葉は使わない。後ろ向きな発言はしない。そんなふうに、自分にひとり課しているものが多いように見えた。「アイドルだからこれをやる」というよりも、「アイドルだからこれをやらない」という意識が強い人なんだと思う(こういうところはすこしプロデューサーに似ているんではなかろうか)。そして、「アイドルだから」に特化しているというよりは「表舞台に立つ人間だから」「芸能を志す人間だから」というふうに、いろいろな意識が混在しているんじゃないのかなと感じるし、そのなかには素の自分の「こうなりたい」という意識も混ざっているんじゃないかなと想像する。そうやって強いステージ意識をもつ人だからこそ、生身の人間というより、テーマパークのキャラクター的にすら見えるときもあったりした。


わたしはアイドルオタクで、なおかつアイドルをガチガチに神格化してしまう人間で、それがある種の残酷さだと頭ではわかっていてもどうしても神さまなんだと思うことをやめることはできなかった。だからこそ、ガチガチに自らのアイドル像を固めてステージを立つ人を好きになれてよかったと思っていた。


この生誕期間の2日目のアコースティック公演で、1曲目にひとり登場したこの人は見てとれるくらいに緊張していて、曲の入りを掴みそこねて、手が震えているのが見えてしまった瞬間、こちらまで息ができなくなってしまった。後の特典会で、緊張した、逃げたい、怖い!って思った、あんな緊張したのははじめて、というふうに話してくれた。「自分は表舞台に立つ人間だから」という意識が強いぶん、自分の中身をステージの上でさらけ出さなければいけない瞬間、HUNTER×HUNTERで言うと(突然のHUNTER×HUNTERでの例え失礼いたします)「絶」をした状態で膨大なオーラ量をもつ敵と相対して、そのオーラに生身でさらされるみたいな、そんな感覚になるんじゃなかろうか、と想像する。


客観的に見ると、偶像が崩れる瞬間だったのかもしれない。でも、手を震わせながらも客席を見渡して持ち直して、そのまま最後までステージを届け切った姿はやっぱりアイドルだったし、その過程を含めて「日が紅」でしかなかったな、と思う。


後の特典会で、みんながすっごくやさしい顔で見守ってくれたから、届けてくれたから踏ん張れたんだと話してくれたことも、この日を踏まえて、もっと成長していく姿をずっと見守っていてほしいと思ったからこれからも期待してて、と話してくれたことも、全部が全部わたしの大好きでいるアイドルというありかたそのものだと思った。でもそれは後付けされた鎧なんかではなく、その根もとには日が紅さんと、日が紅さんの中の人の血が流れているから、そのことがわかるからいつでも大好きなんだと思えるし、病めるときも健やかなるときもこれからもずっと、アイドルをやりきれたと思う日までどうか見届けさせてほしいと思う。ステージに立つあなたが、ステージに立ち続けてくれるあなたが大好きです。


OS1ゼリー

ぐりという名前です。アイドルオタクの気持ちブログ。

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