0403

あなた推しになりましたとお伝えした日付から、また一年無事に年を重ねることができました。いまの気持ちにいちばん近い言葉を考えると「契約満了」かな、というところで、一年間お互いに大きな怪我や事故なく、大好きなままで推しきれてよかったと思うし、なんの衒いもなくまたここから一年よろしくお願いしますと思えること、心から幸福だと感じています。


話は変わりますが、昨年の秋ごろ、冨樫義博展の開催に併せ無料公開されていたHUNTER×HUNTERを毎日読んでいたわたしは、ふと「日がち以外のアイドルとツーショットをいっさい撮らないようにしよう」と決めました。制約と誓約です。



出典:冨樫義博『HUNTER×HUNTER』


これに関してはほんとうに深い意味はなく、本人にも別に言っていない(そもそもこういうのをよろこぶタイプの人ではないと思う)し、友だちにえ、なんで?と聞かれたときにはそのときHUNTER×HUNTERを読んでいたから……としか答えられなかったし、それ以上でもそれ以下でもない気がします。あと制約と誓約にしてはユルすぎる(ピンショットとか囲みとかは全然撮るので)。

しいて言うならば、この人がアイドルとして生きる人生に落ちる翳りを自分のできる範囲で減らしたい、という気持ちは根っこにあるような気がしています。

わたしはTwitterのbio欄に好きなアイドルのIDを書くことはしてこなかったアイドルオタク人生なのですが(なんか恥ずかしいから)、でも知らないアイドルオタクの人のTwitterを巡回していたら、「bioにIDを書くことでツイートを見てライブ見てみたいかもと思った人が飛んでライブスケジュールを確認できる(要約)」と書かれている人がいて、影響されやすいわたしはえーたしかにそうかも!!と思って即bioにIDを書きました。はじめてのことでした。また生誕祭にあたり本人がプロデュースしてくださったグッズが全部欲しい!と思ったわたしは全部購入し、アイドルオタク一日目か?と思いつつはじめて全部くださいって言った!というようなことをツイートしたんじゃないかと思います。

そのどちらもを、この人はほんとうにうれしいと思ってくれたようでそう伝えてくださって、そのときわたしは、自分が恥ずかしいとか安く見えるとかそういうことなんて全部どうでもよかったんだと、好きな子がうれしい、と思ってくれることこそがいちばん大事なんだと気づかされたような気持ちになりました。アイドルオタクを十数年つづけてきて、そんなこと気づくのにここまでかかってしまった。

たくさん「そうしたい」と思わせてくれる、ほんとうにほんとうにいとおしい子と思っています。


そして、できるかぎり「そうしたい」と思わされるのは、自分がひとりのアイドルをこんなに熱心に推すのはきっとこれが最後だろうと日々痛感していることと無関係ではないことを感じています。

アイドルのことをきっと自分は死ぬまで好きでいて、ステージのまばゆさに焦がれてこれに殺されたいと、そうやって泣いた気持ちやいまもそう思う気持ちに嘘はなくて、でも同時に、自分が自分の老いに逆らえないことを強く感じています。筋トレをはじめて体力は以前よりついたはずなのに、心の体力がついていかずにモヤがかったようになることが増えたし、以前は興味のないはじめての子たちも楽しんで見ることもできていたはずなのに、いまは「疲れる」が先行してしまうことも多くなりました。もうこんな思いをしたくない、と思うようなことを何度も経験してもそのままでいられるほど自分の心は強くなかった。コロナ禍に入って、わたしは時間が止まったみたいだとずっと思っていたはずなのに、いまは過ぎていった時間の膨大さを思います。

あとから思い返して、いまの気持ちは気の迷いだったと笑える日が来るかもしれないし、このまま進んでいくのかもしれない。どちらにせよ、わたしはこの子がわたしにとっての最後のアイドルだと思っていて、最後のアイドルだからこそ、わたしのできるかぎりで大切にしたいし、命を燃やして応援をしたいと思うし、アイドルとしての人生を最後まで見届けたいと思っています。


昨年のゴールデンウィークの福岡の、夜の港でのライブのあとに日がちがきっといい光景を見ているんだろうなって表情をしていてそれを見て胸がいっぱいになって、と伝えたら「ぐりちゃんがそう思ってるんだろうなって顔をしていてうれしくなったんだよ」と伝えてくれたこと、生誕祭のあとに「ぼくがうれしいと思ったときにぐりちゃんもうれしそうに笑っていてそのことがうれしかったの」と話してくれたこと、照明がとてもうつくしかったライブの日に、「ぼくからは見えなかったんだけど、きっとすごく素敵だったでしょう」と言ってくれたこと。ここでは言い尽くせないような一瞬一瞬に、こんな子にはもう絶対に二度と出会えないと思いました。自身のあずかり知ることのできない他人の心や、その目にうつる光景に、本気で心を寄せることのできる人。

わたしはどうかこのかっこいい人たちがはやくふさわしい大きな舞台に立っていてほしいと、売れてほしいと思うばかりで、さみしさを感じるようなことはあまりなかったのですが、それでも、この人がわたしやわたしたちの瞳にうつる光景を想像しつづけてくれるならば(そしてわたしやわたしたちがこの人の瞳にうつる光景を想像して幸福に思いつづけられるならば)、どんなに見えなくなっても声が届かなくなっても、ずっとずっと大丈夫なんだと安心をしてしまいました。わたしたちはたぶん、見えない光景をとおしてずっと繋がっていることができる。


この一年間、どうやっても進むことのできないグループの活動に(さまざまな事情があるとは頭ではわかっていても)歯がゆく思ってしまうこともあり、それはステージの上の四人にとってもそうであったのかもしれないと想像をしてしまいます。そのなかでも、成長を見ていて、と言葉でもパフォーマンスでも伝えつづけて示しつづけてくれた姿がほんとうに頼もしくて、この一年間、わたしのなかのいちばんの支えでした。いつも助けてもらってばかりだ、と思うし実際にそう伝えてもいるけれど、(前後は省略するけれど)お互いにだね、と話してくれたこと、そっ閉じの口上で「みんなに言ってほしい言葉」をそれは紅照らすため、にしてくれたこと。そういうひとつひとつをうれしく思います。お互いに、お互いが大丈夫でないときは照らすことのできるような相互関係であれますように(きっと絶対日がちには敵わないと思いますが)!


心も体も健康第一で、すこやかであれる努力を怠らず、ここからの一年も必ず見届けます。

いつもありがとう!



OS1ゼリー

ぐりという名前です。アイドルオタクの気持ちブログ。

0コメント

  • 1000 / 1000