白鳥白鳥聖誕祭2019によせて

(2019年10月5日に行われた二丁目の魁カミングアウトさんのライブ『白鳥白鳥聖誕祭2019』の感想の再掲です。)
記 2019年10月22日
「無粋」とはそのとおりかもしれませんが、
アイドル本人ができない無粋をのこしておくことがオタクのできることかもしれないと思い、残しておきます。

レポートのていに近づけてはいますが、基本的には気持ちの記録の文章です。
すばらしい生誕ライブでした。

27.9℃/20.7℃ くももありつつ晴れ

ホテルの部屋で念入りに化粧をしていると、結婚式の日の父親はこういったような気分なのではないかな、と思いました。
きまるモッコリさんがお休みになってからはじめてのおおきいワンマンということもあり、さまざまな緊張。

飲み屋や喫茶店、風俗店などで雑然とした通りを抜けると会場の梅田TRADです。
(前回きたときも感じたこと、ここのとおりは雑然としているのですが、見た目もあるのでしょうが商店街をとおっているような気持ちになり、ほの暗い雰囲気をあまり感じません。ふしぎなかんじです。前回も今回も、昼の公演であることもあるかもしれませんが)
物販から流れる『ネコの恩返し』と、おそらく喫茶店のスピーカーから流れる音楽がまじってきこえて奇妙なノスタルジックさ。

前回ここでライブが行われたのは2018年の6月30日、HARD GAY TOURの大阪公演でした。
HARD GAY TOURは2018年の5月、6月、7月に渡っておこなわれたツアーライブで、
1ヶ月のあいだに東名阪3箇所を回ること、3地域ともだんだんキャパシティの大きい会場になっていくこと、が明言されていたツアーテーマと記憶していますが、
最終的に本ツアー中でいちばんキャパが広かったのはここ梅田TRADだったはずです。
(特典会で本人たちにきいた話によると、「(会場を)まちがって取ってしまった」とのことでした)
当時の四人には埋められなかったキャパシティを、今回メンバーの生誕ライブというかたちで即完売させたこと、本人たちの感慨もひとしおなのかなと想像します。

会場に到着すると、こんな見た目をしていたかな、というのがすなおな感想で、
真っ白な壁の会場できれいだな、今回の聖誕祭にぴったりだなと思いました(去年行ったさいにはおそらくなにも感じていませんでした)。

会場の敷地内の右手には有志からのお祝い花があり、あらためてお祝いの日なんだ!と引き締まる思いになりました。ご本人をイメージしたであろう白百合をはじめとした白い花々、宝塚トップスターが背負う羽と、フィナーレで手にもたれるシャンシャンを模したかざりつけでとても華やか。のちにご本人もおっしゃっていますが、「聖誕衣装の事知ってたの?!って程に相性もばっちし」の素敵なお花でした。すべてを汲みとれるか、汲みとれないかはまったく問題ではなく、意図を汲もう、とする気持ちはまちがいなく愛だなと思いました。 

お寿司を食べました。

会場に入ると黒い幕の閉じたステージ。
会場内は昨年記憶していたとおり、横広の会場。メモを読み返していたら、当時は「体育館みたい」と感じていたみたいです。SEもおそらく流れていたと思うのですが、緊張のためかよく覚えていません。
開演30分前、直前にそれぞれ男性の声でアナウンスがありました。いつもライブハウスできく注意事項のアナウンスとはすこし趣がちがうように感じ(話しかたも、背すじの伸びるようなていねいな風)なんだかホール公演みたいだねと話していました。直前のアナウンスでは「ロビーのお客さまはお早めに〜」といったアナウンスがあり、この会場はドリンクバーが分けられてもいないライブハウスだったため、宝塚のような劇場公演の影アナウンスを踏襲しているのかな、とハッとしました。

どこまでご本人の意見や采配なのかはこちら側にはわかりませんが、開演前から観客をステージに没入させるための工夫なのかなと思いました。とても素敵だなあと思いますし、いつか白鳥さんが構成を手がけたホール公演を観てみたい!という夢ができました。

*セットリスト
S1. see you next life【白鳥ソロ】
S2. LOUE【白鳥ソロ】
S3. そっ閉じ 青春【白鳥ソロ】 
S4. 耳をすませば
S5. 三原色カタルシス
S6. BUG IS LIFE
(ここからアンコール前まで順番あいまいです)
S7. 鶴は千年 亀は万年 僕の数年
S8. マイノリティーサイレン
S9. 若くない者のすべて
S10. リバ
S11. 青春は何度でもやり直せるなんて嘘だ
S12. カエルのうた
(白鳥さんからのお手紙)
EC1. 言いたいことも言えないこんな世の中じゃん【白鳥ソロ・ピアノ】
EC2. アンハッピーバースデー【白鳥ソロ・ピアノ】
EC3. ノスタルジスター【三人・ピアノ】
(プレゼント・MC)
EC4. シワの数だけ被GAY妄想
EC5. ボクの夢はお嫁さん
EC6. まるもうけ

ピンポンパンポン、ではじまるいつもの開演の合図。ふだんはぺいさんが担当しているアナウンスですが、この日は主役の白鳥さんが。「本日きまるモッコリはお休みですが、気持ちは四人で」、きまるさんがお休みになってからずっとぺいさんが続けているアナウンスがきょうも。「私の、私による、私たちのための」という、まさにきょうのためにあるようなことばがご本人の口から聞くことができて、はじまる前から勝手に感無量の気持ちになっていました。

今回の聖誕祭のポスタービジュアルは、白鳥さんご自身が宝塚のトップスター・娘役に扮した画になっていて、白鳥さんがよく使われることばを借りて言えば「わがまま」になるのでしょうか。男役のトップも娘役のトップもどちらもひとりじめしてしまおう、という気持ちのビジュアルなのかなと感じていて、わたしはそれが大好きで、ステージの上では自分がいちばん素敵なんだとだれよりも信じていてほしい人がそう信じていられるような、そのあらわれのようなビジュアルを白鳥さん自身がつくられていること、いちファンとしてとてもうれしかったです。「私の、私による、私たちのための」ステージだと言い切れるこの人は、わたしの信じてきたアイドル・白鳥白鳥そのもののかたちでした。

「盛り上がる準備できてる!?」「そんなんじゃ足りないよ、盛り上がる準備できてる!?」(ここは関西弁のニュアンスで言っていたかな、とてもかわいかったです)白鳥さんのアナウンスや煽りはこれまでにも何度かありましたが、何回重ねてもどこかぎこちなくてひかえめで、かわいらしいと感じてしまうものなのは、たとえアイドルに変身しても変わらないご本人の気質のあらわれかなと感じます。

ゆっくりとスライドして左右に開く幕。ステージの0番にはスタンドマイク、客席側から見て左手奥にはちいさめのキーボードピアノ(それを見て息をのんだ人もすくなくないのかなと思います)。幕が開ききって左手舞台袖からヒョウをモチーフにした衣装の白鳥さんがひとり登場します。明るい金髪で、まんなか分けの髪型。そのままキーボードの前に立ち、片手で演奏をはじめる白鳥さん。目の前のはじめて見るピアノパフォーマンスの光景よりも、四角く無機質なキーボードを、アイドルにしかゆるされないようなステージ衣装である、白いヒョウの耳と爪をした白鳥さんが弾いている光景の異質さ、その倒錯感にどきどきしていたかもしれません。 

本来の曲中には存在しないメロディでありながら、ああこの曲か、とピンとくる感覚は、いままでの二丁目の魁カミングアウトのライブで用いられてきたつなぎを思い出すようなものでした。もちろん、このピアノパフォーマンス「だけ」ではステージに立てるものではなかったかもしれませんが、一音一音ていねいに奏でる姿は、いままで目にしてきたステージに真摯に向き合う白鳥さんの姿が凝縮されているような、そんな演奏だったように思います。

最後のアルペジオを終えると中央のスタンドマイクの前へ。無伴奏で歌われる「see you next life」。ここまでの流れは、きっとご本人も緊張されていたのではないかな、と想像しますが、見ている側としても心臓が張り裂けそうなくらい重ね重ね緊張の瞬間の連続でした。

GAY4発売記念イベントではじめてこの曲のパフォーマンスを見たとき、「センター制度があるアイドルを応援している人が、推しがセンターにえらばれたときの気持ちってもしかしたらこんなかんじかも」と思ってしまうくらいに、この曲は白鳥さんが0番に立つことをフィーチャーされている曲と感じます。この日も、見えないスポットライトが白鳥さんに当てられているような心持ちになりました。 
いつもよりゆっくりと歌われるそれをきいて、どきどきしながら、改めて詞を渡されたような気持ちになりました。たとえば、「粗い」の「ら」の部分、流れるように歌われるぶん通常のパフォーマンスできくと子音(r)を強く主張されていない印象だったのですが、この日のアカペラ歌唱では子音をはっきりと感じる歌いかたで、新鮮でした。「〜物語だ」の最後の「り」「だ」をそれぞれ分けてはっきりと歌われていたのも。

いわゆる「歌のうまいアイドル」のアカペラ歌唱というのは、ひとつさじかげんを間違えると歌よりも陶酔の印象を強く受けることが多く、あつかいの難しいものと思いますが、この人は歌を介してことばを届けることをほんとうにほんとうに大切にされている人だなと、ふだんから感じている大好きなところをそのままの気持ちで感じることができたこと、すばらしいなと思います。それに加えて、舞台のまんなかにひとり立つ重みをたしかに支えているものは、この人のうつくしさだなという気持ちも。


「〜物語だ」の最後の一音がとぎれ、打つ音とともに照明。間奏の部分からバックの演奏が流れはじめます。
see you next lifeは、わたしにとって「群舞」としての曲であり、音のなかには存在しない、振りつけ上のカウントやリズムがより強くきざまれている曲です。これをひとり歌のみで表現することはものすごくむずかしいことではないかと考えてしまうのですが、白鳥さんはそれを選び、なお魅せきってしまうので強い人だなと思います。歌がうまいな、と思いました。そして歌がうまいなと思う以上に歌うことが好きな人なんだなと感じていました。

「主役も演出も自分だから」は、白鳥さんが歌うとよりポジティブな意味にきこえる気がします。前述の「私の、私による、私たちのための」につながるようなフレーズにきこえるような気持ちになれたことがとても好きでした。振りはなく歌ひとつのパフォーマンスでしたが、「自分」という詞のときに自身の胸のあたりをぎゅうと掴むような動作。
歌のおわりに、白鳥さんに正面から当てられたスポットライトがだんだんと絞られていくような照明と、目をとじる白鳥さんの姿を目にしたような気がします。このような照明はライブハウスではあまり見たことのないような気がして、演劇的に感じた照明でした。白鳥さんのまばたきと重なって、きれいで、世界でいちばんきれいと思えるくらいきれいで、わたしの神さまはやはりこの人だと思いました。


ここで言う神さまとは、たとえば、祈りを捧げられて人を救うような、水をワインに変えるような神さまのイメージではなくて、水面が光を反射させてきらきらまたたく瞬間とか、だんだんと明けていく空の色を見たときの、泣きたくなるような気持ち のようなものを思っています。うまくつたわらないかもしれませんが。白鳥さんがステージに立つ光景がわたしの神さまです。

「世界でいちばんきれいだ」と思えるのは、
白鳥さんの生まれもったうつくしさと、その体に積みかさねてきたうつくしさがあるから、というのが前提としてあることですが、いちばんはやはりわたしが白鳥さんのことを好きでいて、大好きなアイドルだと認識していることがおおきいのだと思います。ステージに立って光を浴びる姿を、白鳥さんを見てきた日々がつくるわたしのフィルターを透かして見ることで、「世界でいちばんきれい」が生まれること。うそみたいなことばですが、たくさんたくさんの層が折りかさなってたしかな質量をもってそこにあります。
「アイドルは状態」という論にとても納得したことがあるのですが、世界でいちばんきれい、と思えることも、なんて幸福な状態なのだろうと思いました。


厳かなイントロ、二曲めは続けてソロでの「LOUE」。きまるさんがお休みになってから三人でのステージで披露されたことはなく、久しぶりの披露になるのではないかな。
昨年秋から今年のはじめにかけて行われたJAPAN GAY TOURを通してすべての振りつけが完成していった曲ですが、はじめて披露された豪雨のなかの新宿マルイメンでのアルバムリリースイベント、振りもなく歌にすべてをささげるようなこの曲の白鳥さんの歌唱をすごくよく覚えていて、だからこのときひとり歌う姿に、なんだか元の場所に戻ってきたような、なつかしい気持ちになりました。ツアーの印象が強い曲なので、未完成のものを体験した回数のほうが多いこともあるかな。
振りつけがつく前の、「誰かと作る」の歌いかた、音の抜きかたがとてもとても大好きだったから、またきくことができてうれしかった。すこし声が出しづらいようかな、とも感じながらも、詞の文字数も多く、音程も高いこの曲をひとりで歌いこなす姿はさすがでした。

賛美歌をきいているような、おおきなものに祈るような気持ちになります、この曲の白鳥さんの歌は。


ピアノのイントロ、照明。三曲めはソロでの「そっ閉じ 青春」。この曲も、きまるさんがお休みになってから披露はされていない曲でした。 

この日、いちばんききたかった曲でした。ミキさんからひとりひとり詞を託されたこの曲で、大切な日、とくに大阪で行われるライブでのこの曲の白鳥さんは、いつも感情があふれそうなくらいのいい表情をしているように見えていたからです。でもやっぱり、どうしても四人でしか歌ってほしくない曲でもあって、三人では歌わないことを選択をされる曲と思っていたから、きょうはきけないと思っていました。このようなかたちで披露してくれたこと、わたしはなんだかすごく救われたような気持ちになってしまいました。ありがとう。 

前の二曲が険しい曲だったぶん、この曲で客席を見渡してやわらかくほほえまれていたように思います。その姿が大好きでした。
他のメンバーのパートにも深い共感をしめすような歌に感じて、ほんとうにこの人は歌詞を血肉にできるパフォーマーだなと感じます、これは二丁目の魁カミングアウト全員の魅力かもしれませんが。

でもやっぱり、ご自身の歌詞を歌われる姿がいちばん素敵でした。
「過去を輝かせるから」この歌詞を凱旋し歌う姿、たまらない気持ちになります。これは、白鳥さん自身がいちばん感じられていることかもしれないなあ。
アウトロ、ほんとうにやさしい表情をされていました。


拍手のなか、ピアノのイントロにつづいて鼓動のようなキックの音、手早くスタンドからマイクが抜く白鳥さん、自身の手でスタンドをステージ左手に片づけ、同時にキーボードが回収されていきます。ミキさん、ぺいさんの順で二人がステージに走りこみ、三人での一曲めは「耳をすませば」。
三人があげる拳と声に合わせて会場の熱狂のようなものが一気に高まるのを感じました。この日の主役は白鳥さんですが、きっと白鳥さんだけではこの熱量はつくりあげられないものだなと、グループアイドルというものの尊さだなとしみじみ思います。きまるさんのおやすみのいまは、フォーメーションは横一列からミキさんを頂点とする三角形へ。

「爪先から〜」本来きまるさんと白鳥さんが背中合わせで交互に歌うシーンは、白鳥さんがひとりまんなかに立ちます。ここの客席は、きっと白鳥さんの目線ではおしよせる波のような、もっと言ってしまえば檻に一気に殺到する暴徒のように見えているのではないかなと思います(きょうはとくに)が、うれしそうにうれしそうに見つめる白鳥さん。
サビの人差し指できりさくようにXをえがくシーンの、ぺいさんの指がとても鋭い。これは毎回思っていることなのですが、ぺいさんは三人の生誕祭のとき、とくにうれしそうに笑いますね。昨年の聖誕祭の特典会の帰り際に、わたしに向かって「おめでとう」とつたえてくれたことを思い出す姿です。 

二番のサビでは白鳥さんがセンター位置へ、二回めの「君へ」では客席を手でさししめす姿。この耳をすませばの君、において、アイドルのおきまりというか、パフォーマンス的にはいくらでも客席を指さすことができるのではと思いますが、白鳥さんがそれを選ぶのはわたしが見るかぎりではおそらく見たことがなくて、このグループは振りつけのもとのかたちを大切にしているグループなのだなといつも思います。あとこれは白鳥さんのポリシーなのではと思っているのですが、「君」で個人を見すえることはあまりなくて、わたしはその背中を見るのがとても好きだったりします。

そんな白鳥さんがある日のFREE GAY LIVEを境に二番のサビでまっすぐに指をさしはじめた姿は、振りつけと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、きまるさんをリスペクトする光景として、わたしのなかで愛するもののひとつになりました。

「もっと!もっと!もっと!来いよ!」間奏の煽りの熱狂をたずさえながら、このグループのパフォーマンスのなかでも随一にうつくしいシーン、縦一列に並んだひとりひとりから、バトンのように歌唱が受け渡されるおちサビです。一斉に上を向き拳をあげる一瞬が祈りのよう。この歌は二丁ハロの時代から歌われている歌であり、あとから加入した白鳥さんにとってこの歌のパートは直接授かったものではなく、歌い継いできたものかと思いますが、「その一つ一つに返すよ」と人差し指を前にのばす姿を見るたび、なんてこの人的な光景なんだろうと思いますね。 

最後のサビ、白鳥さんのはじけるような笑顔。最後のドラム音に合わせて顔の前に手がかざされ、そのまま次の「三原色カタルシス」へ。激しいドラムの連続音。

三原色カタルシスってまじでいい曲!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


客席の熱気に呼応するようにステージ上のボルテージも目に見えて上がって、それを見てまた熱くなって、という対話がわたしはとても好きで、現場に足を運ぶおおきな理由のひとつでもあるのですが、きょうのこの曲もまさにそれだったと思います。

「なりたいものになれました?〜」ぺいさんのソロパートのうしろで頭上で手を打つ白鳥さんの表情がまぶしい。つづく白鳥さんのソロパート、よろこびがおさえきれない!!といった表情に見えて、こちらもしあわせな気持ちでいっぱいになりました!「自分で決めた道なら〜」に重ねおまえがいちばん、とコールするのが、コールをする人のなかでは多数派かなと感じるのですが、この瞬間、もっと言って!!と言わんばかりに私ー!!!ってようすの白鳥さんがとてもとてもかわいかったです、全身全霊でおまえがいちばんでした!

三原色カタルシスは、強く苦しみの曲と感じてきいています。深い地下の底から上を睨めつけるような。「服用必須の時代です」の憤怒や「弱い 弱い 弱い僕だけど」の身もだえるような苦しみ、この曲はぺいさんのパフォーマンスがわたしの体にいちばん合っているなと思っているのですが、この曲の白鳥さんは三人よりもスピード感のある希望をもって上を見上げているような、たのしそうな表現をするように見えて、わたしはそれがとても好きです。どんなときでも光の道すじの人と思います。

「キレイ キレイ なこの景色も」で、指でつくったファインダーで客席を見る白鳥さん。やさしい顔で端からとおくまで全部見渡されていたように感じました。このシーンは、けして切りとることのできない一瞬をしんでもわすれないように、かなわない願いを客席からステージへ(またその逆も)かけるたいへんにやりきれなくて幸福でうつくしいシーンと思います。「せめて」と願いをかけるのはわすれないことではなく、「愛と呼ばせて」と。名前は愛だな、と思います。呼ぶこともつけることも。

「この風景だけは愛と呼ばせて」と歌う白鳥さんの姿が好きです。これは、ステージに立つ白鳥さんを見ていると何度も思うことですが、このひとそのもののような光景と思ってしまいます。いちばんというものはありませんが、白鳥さんの歌う姿でいちばん好きな光景はやはりここだな、と思います。この日もまばゆくて大好きでした。

「弱い 弱い 弱い僕だけど」とにっこりと笑って歌う白鳥さんを見ると、なんて強くてうつくしい人と思います。


強いキック音、拳をゆっくりと上にあげる三人。「BUG IS LIFE」。この曲が来ると、いまでもハッと身構えてしまいます。
この曲のおちサビ、まさにおちサビといったおちサビだ!と言いたくなってしまうくらいのおちサビで、曲のすべてがそこに収束していくような力すら持っているように感じます。そのおちサビを、白鳥さんが担当している曲です。昨年度の聖誕祭ではソロで歌う一曲めとしてえらばれていて、納得の選曲でした。このおちサビといっしょにますます強くうつくしく逞しくなられていったのかな、と感じるような2018年だったので。

「私は無力だから〜」センターで歌うミキさんの後方で、後ろ手を組む白鳥さんの、うつむく顔に落とされた影がうつくしい。表情を変えない、表情が見えない姿にドラマを感じさせること、そして次のパートでうごきだした瞬間にそれが広がりを見せること、ステージに立つ人としての才だなとつくづく感じます。美は才能。

センターに歩み出る白鳥さん、「だって生きていく理由〜」と歌う姿の切実さに、深い共感が感じ取れるような気がします。もうすこし前のタイミングでハッとしていたかもしれませんが、真ん中わけで登場した白鳥さんの髪がすっかり乱れていることに気づきます。
横一列に並び、となりのメンバーの肩に手をおいて跳ぶサビのうごきは、広いステージの上で見ると、力づよい歌唱なのに心もとなく感じます、三人だとなお。マイノリティ、そのちいさなコミュニティ、をあらわしているのかなと思っているのですが、どうなのかな。

「だから見落とすのが人間なのかな」大好きな歌唱。白鳥さんの上空をあおぎ見る姿と、指先までまっすぐに伸ばされた手が好きです。泣きたくなるような光景。

おちサビへ続く間奏、合唱と手拍子をバックに踊る姿はどこか儀式めいていると感じます。白鳥さんが真ん中に位置し、手のひらを上げていくのと同時に星の落ちるような音と頂点に達する合唱、凝縮、放出。爆発。わたしのうけるこの曲の夜空のイメージは、ここのシーンに詰まっているのかなと思います。「忘れないで」の歌唱は、わたしにはうまくことばにすることができず、ここはもう見てくださいと言うしかないシーンなのですが、わたしはこんなに他人の姿で胸がいっぱいになることがあるのか、と見るたびに思います。

前述のとおり、ここは目玉というか、おちサビらしいおちサビとしてかなり印象的で前面に出るパートで、一般人の感覚で考えると白鳥さんはこの大事な部分を任されていること重圧には感じないのかな、と思いますが、公での発言では「ここを任されてうれしかった」という旨の発言をしていらしたかなと思います。ステージにおける白鳥さんの舞台度胸のすばらしさ。以前はこのおちサビだけ突出してきこえていたときもあったのですが(それも素敵でしたが)、いまは楽曲の世界からはみ出すことなくコントロールしたうえで、こちらに刻むような歌を歌ってくれるなと思います。かっこよくて誇らしい。

「汚れ汚し〜」ミキさんとぺいさんが向かい合い歌う前に出て、センターで拳を上げる白鳥さん。四人ではきまるさん・白鳥さんがそれぞれ左右に散って拳を上げる姿が、奥にいる神さまを守る狛犬のようと感じたことがありますが、真ん中に立つ白鳥さんの姿は王の凱旋のような堂々としたかっこよさがあるなと思います。全員で手のひらを顔にかざし、静止。


三人が舞台袖にはけ、すこし長く感じる沈黙。マイクスタンドをそれぞれ持ち、ぺいさん、白鳥さん、ミキさんの順番で登場、マイクスタンドでのパフォーマンスの「鶴は千年 亀は万年 僕の数年」。(曲前に白鳥さんからのタイトルコールがあったような、さだかではありません)

いつかのMCで「この曲はむずかしい」と話されていたのはミキさんだったかな、だからこそマイクスタンドでのパフォーマンスで、歌う人以外は踊るけど、歌う人は歌だけに専念する、Aメロはこの人のパート、Bメロはこの人のパート、といったように一人の一回の担当のパートが長く、他の曲とはすこしちがった形態で歌われる曲です。いまいちばん熟している最中の曲なのかなと個人的には感じていて、熱のまっただなかの強いかがやきを感じています。四人でのパフォーマンスでも、いまの三人でのパフォーマンスでも、各々の成長を毎回感じるような、のびしろの曲!

冒頭の英詞で歌われる部分は、三人ではぺいさん・白鳥さんが高音で、ミキさんが低音ハモりを担当しているでしょうか。高音のふたりの突き抜けるような声が気持ちよくて、この曲の天井がぐっと高く高くなるような感覚は、この冒頭からつくられているなあと感じます。白鳥さんがほんとうに気持ちよさそうに歌われているなとうれしくなりました。この曲での白鳥さんは、歌っているときはもちろんのこと、踊っているときも非常にいいお顔をされていて、たのしいんだろうな気持ちいいんだろうなと感じられて、見ていて心が色つきになっていくようです。とくにぺいさんパートの「夢も希望もない日々〜」からの、四拍でひとつ動作をきめていく振りのところは自信にみちみちたようにおおきな口で笑っていて、ああステージに立つこの人を応援するのってたのしいなと、心から感じたしあわせな瞬間でした。

「〜生きてる声を今ここで聞かせて」ぺいさんの歌唱のしっぽを残したまま間奏、激しいドラム、ギターとピアノの旋律に乗せて踊る三人。ここの振りつけ、カウントを肌で感じるような振りなのがとても好きです。(踊りも音楽もくわしくないのでうまくは言えないのですが)1、2、3、4とカウントを数えるとして、1拍め、3拍めではなく2拍め、4拍めにアクセントとなる振りつけが来るのがかっこいいなと思います、はじめの2拍めで右手を、4拍めで左手をのばして、3回めの2拍めで前に掻き出て、そのつぎの2拍めで上に向かって力づよく手をのばす(ここは、1拍めで顔を上にあげるのがまたかっこいいなと思います)。前述の、Bメロでひとつひとつ動作をきめていく印象的な振りが、1拍めに動きはじめるのでその対比もあってかなと思っています!全員が一斉に空を掻くように前に出る箇所がぴったりと揃うようになってから、鳥肌が立つくらいかっこよくなった!

ただここは、白鳥さんがものすごくものすごくいい顔で踊っていることがすべてで、こんなつまらない説明なんて野暮でしかありません。なんでこんな顔ができるんだろう、と思うくらいのまばゆい表情。バッと空をあおぎみる一瞬、よろこびをそのままかたちにしたらこんなふうなんじゃないかな、って姿でそのまま上に向かって手を伸ばすから、いつも目の奥のほうから喉もとまで、熱いものがこみあげてしまいます。なんでこんな顔ができるんだろう?この日の二日前の、FANJ twiceでのFREE GAY LIVEでもたまらなくなってしまうような顔をしていて、ことばを借りるなら「夢が叶いそうな光景」そのものです。アイドルを好きになった人生で白鳥さんを見つけることができてよかったと、そう思えるような一秒にも満たない瞬間です。

そしてこの間奏が終わってからやっと、はじめて白鳥さんのソロのパートです。もうわたしはすばらしいとしか言えず申し訳ないのですが、ここから最後の英詞のアウトロまで、天井も屋根もなくなって、ぐんぐん高いところまで連れてってくれるような歌唱だあと思います。白鳥さんがこのパートをもらえてうれしい、という旨を話していたように、わたしも「〜懐かしいあの場所へと行ってみよう」という詞がとても好きで、ここを白鳥さんが歌ってくれてうれしいなあと思います。好き!前に出した手のひらを握りしめて、そのまま次の曲のイントロ。 


曲の順番があいまいではあるのですが、ふたごのような関係性のBUG IS LIFEとマイノリティーサイレンを、続けてではなくほかの曲を挟んでの流れなのが、なんだかいままでのツアーのセットリストのようだなあと懐かしんでいました。

「マイノリティーサイレン」。ゆっくりと上げられた指先が頂点に達して、凝縮、放出。会場の熱狂がここでまたぐんと引き上げられたような気がしました。つくづく感じることですが、「命を削るように」と表現したくなるくらいに魂が注がれた四人のパフォーマンスは、ほんとうにかっこいい。それでも、「すり減らしている」ように感じられたことはすくなくて、前に前に進む人たちだなと思います。

ことしの夏から、サビでミキさんがひとり歌う「言えない 知らない 聞けない 見えない」の箇所に白鳥さんがハモリで入るようになり、ひとり客席に向かうミキさんがいる光景から、ふたりで向かいあい歌う光景へ。長らく歌い踊ってきた箇所をおおきく変化させることは、とても、勇気がいることではないかと想像するのですが、変わり続けることで変わらないことを示す光景と感じます。うまくは言えないのですが。

(これは余談なのですが、おもにフィロソフィーのダンスの作詞を担当されているヤマモトショウさんのワークショップに行ったときに、「詞も時間が経つごと、そのときどきによって変えて全然いいと思ってる」という旨のお話をされていたのがとても印象的で、わたしは、それはすこしさみしいなとも感じてしまうのですが、上に行く(べき)人たちにとって、更新することは必要不可欠なのだと思います。もちろん、そのままでいいこともあるままで)

ミキさんと向かいあって歌う白鳥さんは、実に堂々と、生き生きとしている姿です。ステージを目にしたときに感じられる白鳥さんの自信や度胸のようなものは、たしかに白鳥さんの魅力だなと感じますね。「逃げたい 逃げたい 逃げたい 逃げない」でお互いを見やりうなずく三人。

この曲には客席全員で肩を組む箇所があるのですが、生誕で肩を組めることってとても特別なことに感じます。生誕祭って、だいたいはその人をお祝いしたい気持ちの人だけがあつまってその人にありったけの祝福をささげる日で、どのライブよりもホームと感じるライブだからなのかもしれません。あちら側ももしかしたらおなじじゃないかな。マイノリティーサイレンでは終始痛みを感じるくらいのきびしい表情をしている白鳥さんですが、ここで客席を見渡す白鳥さんのまなざしがとても好きです。目だけでいつくしみを感じられることがあるのだなといつも信じられない気持ちになる。


ピアノのイントロ、「若くない者のすべて」。この曲が三人だけ披露されたのはつい最近で、この聖誕で三人での披露は三回めか四回めくらいなのではないかな。これはいますべてに言えることではありますが、三人の、いまできることをかぎりなくブラッシュアップしていこうという意志を感じるパフォーマンスです。ステージの真ん中でことばどおり闘っているようなぺいさんの姿はとてもかっこいい。


ピアノ、ドラムの連続音、ストリングス。まだまだいくぞ!と言わんばかりの「リバ」。
これこそいちばんに痛みと苦しみの曲かもしれませんが、ステージの白鳥さんはたのしそうにパフォーマンスをされていてかわいいなと思ってしまうくらい!そこが素敵と思います。自信に満ち満ちてパフォーマンスをしているのだな、と感じられる表情と歌唱をびりびりといちばんに感じるのはこの曲なふうにも思います、こちらも熱くなってしまったので、やっぱりあまり覚えていられてないですね……。すばらしかったです。


ああ〜〜〜〜〜〜〜〜

ドラムが打ち鳴らされ、「青春はやり直せるなんて嘘だ」。ああ〜、となってしまいます、いつきいてもこの曲は……。なんて曲なんだろう。なんて曲なんでしょうか。なんでこんな胸がしめつけられるような、きらきらした音がするんだろう。

23.24.25才 28.29.30才と、年齢を数えていく歌詞は、アイドルが歌うにはまだあまりにも呪い的すぎるのかもしれません。それでもこの人たちのステージ、とくにきょうこの日のような場所では、祝福であると信じてしまいます。白鳥さんにとっても、メンバーにとってもそうなのではないかな。きらきらの紙吹雪が降り注ぐような祝福の光景。
なんだか、ステージの背景や、光のかんじ、床の木の板の線ひとつひとつを思い出せるような心地です。実際にはおぼろげなのですが。
すばらしいライブを見たとき、視野が一気に広くなる感覚を得ることがあるのですが、きっとこれもそうなんでしょうね。

ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ドラムの音、シンバル。「カエルのうた」で本編さいごがしめくくられます。
この歌は底抜けにハッピーな音が鳴らされて、それでいてわたしはいちばんに色濃く「死」の歌と思っています。真っ白に発光する走馬灯のような。
それでも、きっとどの曲よりもきょう歌われなければいけない曲と感じてしまうのは、やっぱりどうしたって「ありがとう」で、「しんでも忘れないさ 君のことだけは」だからなのだと思います。

二番のぺいさんパート、ぺいさんがはじめた白鳥さんの自己紹介を思い出させる白鳥の湖の舞を、うしろのミキさんと白鳥さんがまねしていたの、なんてハッピーな光景だったんでしょうか!グループアイドルを推すよろこびそのものの光景でした。

白鳥さんもこういう即興のシーンをたのしめるようになって、どんどん素敵なアイドルになっていきますね。
たまらない気持ちになりながら手を伸ばしていました。白鳥さんがうれしそうでうれしそうで、たのしい!って全身で言っていてうれしくてたまらなかったです。白鳥さんがうれしいときがいちばんうれしい。
ありがとう!!!!


もうおわり?と思ってしまうくらい、あっという間に感じられた本編が終わりアンコール。

ふたたび登場した白鳥さんはきょうだけの聖誕衣装!白と金色を基調にした、宝塚の男役を思わせるような軍服風の衣装、背中には羽のようなチュール、頭には王冠のような羽飾り!とってもとってもきれいで、白鳥さんのためにつくられた衣装だ!ってだれが見てもわかるような衣装で、あんまりにもきれいで、それだけで泣いちゃった。白鳥さんすこし照れたふうにうれしそうに笑ってた。

昨年度の聖誕祭では、生誕トップバッターの白鳥さんだけが個人衣装をつくられていなくて、後にそれは白鳥さん自身が「自分は一番下だから最初に着るわけにはいかない」とお断りされていたことを知りました。なにも考えずたくさんたくさんお祝いされていい日のはずなのに!そのぶん今年がうれしくてたまりませんでした。ほんとうにほんとうにきれいだった。

登場した白鳥さんの姿を見て、わたしはふしぎなことに「王子さま」というワードに行きつかず、ただただきれいだなあと見とれていました(あとでいろんな人が王子さま!と言っていて、たしかに!!超素敵!!と思いました)。考えてみると、どんな衣装で来るだろうとどきどきしていたとき、やはり宝塚モチーフなのかなというのが頭にあって、ぴんと行きついたのが男役だ!というところだったからかな。ただ、宝塚の男役さんの衣装って、女性のかたが男性になるため、男性の体に近づくための要素がたくさん組み込まれていると思います。でもこの衣装は、従来の男性性の象徴としての「王子さま」になる衣装ではなく、ひとつひとつの要素が、白鳥さんがますます「白鳥白鳥」になるためかがやいていたように思います。

衣装制作のatelier idmさんが以前つくられたウェディング衣装も、押しつけるような男性性・女性性を感じることがなく、わたしはその塩梅がとてもとても好きなのですが、今回もそれだなあと感じました。衣装丈が長いのも素敵でした、太ももやふくらはぎまでの長さではなく、足もとくらいまでの長さがあって、シルエットはすこし神官を思わせるような。

そしてステージの上の聖誕衣装の、後ろ姿のとてもきれいだったことがずっとわすれられません。天使の羽のような、羽衣みたいなチュール!ここまできらびやかで、要素として強い軍服風の衣装、へたに翼を背負わされなんかしたりしたらすこし間違えれば面白くなってしまっていたのかなとも思いますが、ステージ衣装の夢のきらびやかさとして落とし込まれていたのが大好きでした。背中の羽も、羽!っていう風なふわふわだけだったとしたらかわいくなりすぎちゃっていたかもしれませんが、今回の衣装、羽のふわふわにしだれるようなシースルーの細長い布がさがっていて、止まっているとおおきな羽みたいで踊ると豪華なフリンジになるのが大好きでした。天使の翼で、天女さまの羽衣だった!踊っているとき白鳥さんにさらさらかかっていたのがとてもきれいでした。

あとは、やっぱりきらきらのビジューが数えきれないくらいついていたのがとてもとてもうれしかった!首もとの十字架の装飾に聖誕フライヤーの文字色を思わせるようなオパール色の石がはめこまれていたことも、きらきらだけでできた白鳥(本物)のブローチも、全部全部好きな子のためにかがやいていて素敵でした。

後にもうひとつ、いままでの衣装でこれが白鳥さんにあってうれしい!と思ったところ(ウェディング衣装のの真っ白な長い丈のタキシード、もけもけ衣装で翼の位置から長いフリンジが垂れているところ、ピンク衣装の王冠)がすこしずつ組み込まれていたみたいに見えて、それにぐっときてしまいました。いろんな気持ちを汲みとってくれてるような、きらきらでやさしい大好きな衣装でした。きっと気づかないような素敵なところもまだまだたくさんあったんだろうな。


ことしの聖誕グッズであるハンカチーフでチャーミングに汗をぬぐうふりをしながら、白鳥さんは、お手紙を書いてきました、とつたえてくれました。私はこう見えても緊張しいで、つたえたいことをちゃんとつたえられるかわからなかったから、と茶化すように。おととしも昨年も、そしてことしもお手紙を書いてきてくれるような白鳥さんの、つたえることを大切にする姿勢を大好きでいて、心から尊敬しています。 

白鳥さんのお手紙は白いびんせんにたてがきで書かれていて、文字までは透けて見えなかったけどきっとていねいな字が並んでいるのだろうなあと思いました。

ふうとうからびんせんを取りだすときの、白鳥さんの震えていた手がわすれられません。
はっきりと内容は覚えていられていませんが、まずは大阪で開催できるよろこび、愛と感謝と、そしてきまるさんのこと。

きまるさんがおやすみになってから、きまるさんのことを直接本人たちのことばで、ステージからつたえてもらえたのはきょうこの日がはじめてでした。わたしが知る限りでは。
きまるさんがおやすみになって、見たことのないような景色も見た、今回こうやって生誕のライブを開催することもどうなのかな、と思った、でも、そう思わせないようにこの一ヶ月間頑張ってきたつもりです、と。すべては覚えられていませんが、このようなニュアンスをつたえてくれました。

ものすごく責任が重い役割だったことと思います、今回こうやってはじめてことばにすることは。きっと生誕ではあいさつがあるだろうからなにかを発信してくれるだろう、と思いつつ、ひとりに背負わせるなんてそんなことをしないでほしいと願ってもいました。
でも、今回白鳥さんがことばにしてくれて、なんだか力が抜けて、すなおにありがとうと思いました。傷つけるようなことなく、でもほんとうでまっすぐで、すごい人です。

私は歌うことが好きです。踊ることも、活動をとおして好きになりました、とすこし照れながらつたえてくれました。そして、ずっと歌い続けたい、と。
白鳥さんがピアノを弾いてステージがはじまったこと、歌うことが好きです と言ってくれたこと、ずっと歌い続けたいと言ってくれたこと、どれだけうれしかったことか、たぶんほかの人にはうまくつたえられません。

わたしがわたしの好きになったものを好きでいた時間もいっしょに照らしてもらった心持ちでした。
わたしが歌の人をすきになってきたこととか、それ以外のことも全部全部全部実は白鳥さんまでつながっていたのではないかなと、そういうばかみたいなことを信じてしまえるような瞬間でした。

アイドルが「ずっと」と口にすることがこわいです。叶わないことのほうがきっと多いから。でもこの日、白鳥さんの「ずっと」をきいて心から明るい気持ちになりました。白鳥さんはすごいなあ。

白鳥さんはことしもまた、(みなさんからの愛を)返しきれないかもしれませんが という旨のことをつたえてくれていました。
何度でも思うけどいただいているのはこちらばかりです。毎日毎日。とてもじゃないけど返しきれなくて、でもすこしずつなにかをおかえしできればいいな、とも思います。
途中、読み忘れていたのか、わがままでごめんね!って書いてある!とにこにこ教えてくれて、かわいい人だなあと思いました。

アイドル・白鳥白鳥の美の根源は、やはり秘匿性にあるのかなあとも思うのですが、こうやって白鳥さんがきっと素にちかいのではないかな、と思えるようなかわいらしさを遠慮せずに提供してくれるようになったこと、すごくすごくうれしいことだなあと思います。
白鳥さんという人が大好きだなあ、と思うばかりのお手紙でした。感謝しかありません。


ゲストとして、ことし5月1日の赤坂BLITZ、7月14日のZepp Tokyoでキーボードを担当してくれたリオさま。冒頭のSee you next lifeの演奏もリオさまに習ったそうで、「(大変だったけど)褒めて伸ばしてくれるタイプ」とにこにこほほえみあっていたかわいらしい二人でした。

キーボードのしずかなイントロではじまる「言いたいことも言えないこんな世の中じゃん」。この楽曲は7月のZepp Tokyoでもキーボードひとつで披露され、この日もおなじアレンジだったように思います。あのときは四人で、この日は白鳥さんひとりで。 
イントロのあいだ、目をつむる白鳥さんの、髪の毛からつたう汗を見ていました。

ライブ本編のあいだじゅうはきっとこっちが夢中でたのしんでいたこともあって、汗をかかれていることなんてまったく気づかなかったのですが、止まることのないようすにああ命がけでパフォーマンスをされているんだなあとあらためて思います。

髪の毛からずっと汗がつたってぽたぽた垂れる光景を鍾乳洞のようと思いました、あの光景がそのまま「この一瞬を永遠に残すことはできない」だった、あのとき世界でいちばんきれいな光景を見ていました。


「二丁ハロがつくりあげてきた作品」として、白鳥さんはこの曲を白鳥さんだけの気持ちで大切に大切にされているのではないのかな。
四人の曲になっても、自分がパートをもらうのはちがう、と主張されていたというお話をきいたときにそう思った覚えがあって、テレビで「どうしてもこの曲は泣いてしまう」と話されていたときも、ステージを見ているときもそう思います。この日の終演後に、白鳥さんのお披露目としてのアイソトープラウンジでの公演でも白鳥さんはソロに歌う曲にこの曲をえらんでいた、というお話を知人からきいて、それはわたしがまったく知らないときの話なのですが、そうなんだなあ〜、とフワッと心が浮くような感覚でした。

7月14日のステージでは、ずっとずっと遠くから見ていたのに涙を流しているのがわかって、それから、この曲で、この曲のときに白鳥さんひとりに白いスポットライトがあてられて、たまらない気持ちでこちらもゴオゴオ泣いてしまいました。 

この日は堂々とされていながらも、歌詞をとばしてしまっていたり(そのあと問題なくつなげて歌えていたのはさすがでした)緊張をされているかなと感じるようなたたずまいで、ふるえる手を見たとき以上に緊張してしまったかもしれません。でもそれ以上にすばらしかったです、なんて歌を真摯にとどけられる人なんだろうと、ライブのあいだじゅうずっとですが、このステージのときにいちばんそう思いました。白鳥さんというアイドルを好きになれてよかった。

きょうは泣かなかった!と笑っていたのは、お手紙のときだったかな、このあとのMCだったかな。照明にあてられたとき頰に涙の流れた筋が見えたのが、とてもうつくしいと思いました。

きまるさんが担当する一番はステージ右手で、ぺいさんが担当する二番はステージ左手で、ミキさんが担当する三番はステージ中央で歌う白鳥さん。ゆっくりと足を運ぶ姿にも愛情が感じられるようで、わたしの好きになったアイドルの姿と思いました。

この歌詞を書かれたのは(も)ミキさんで、きっとミキさん自身の感じてきたこと、身体にしみついているもの、覚えていることやわすれてしまったこと、そういうものをもとにこの詞は書かれているかと思います。その詞がつくられたときには、きっとミキさんの人生に存在しない人であった白鳥さんがいまこの歌を歌っていること、ミキさん自身の気持ちも白鳥さん自身の気持ちものせてこの歌がとどけられていること、なんて瞬間に立ち会っているんだろうと思います。そして、ずっとむかしに書かれた詞が、そのときは知るよしもないその先のいまを指し示しているように感じる瞬間はうそみたいにきれい。白鳥さんが「愛はここにあるよ」と歌ったとき、この日やこのステージのことを歌っているようにきこえました。

世界でいちばんうつくしいと思える光景を目にして涙がでること、この先の人生でいったいあと何度あることだろうと思います、白鳥さんという人を応援していると夢みたいなことばかりです。


本来の音源ではエンドレスでフェードアウトしていきますが、「愛はここにあるよ」とひとつ歌いきり、曲のおわり。ここでも絞られるような照明のなか目をとじる白鳥さん。


「私たちにとっての希望の曲です」と、白鳥さん。
続けてリオさまのピアノと白鳥さんひとりで「アンハッピーバースデー」。
個人的なことになってしまいますが(ここまで個人的なことしか書いていませんが)、GAY4が発売されてこの曲の音源をきいたとき、きまるさんにどうしても「きまるさんがおちサビを担当してくれてほんとうにうれしかった」とおつたえしたくて、でもまだおつたえできてないことをこのとき思い出しました。

そのくらいにこの曲におけるきまるさんの歌声や存在感はすばらしくて、きまるさんの曲として大切にされている印象が強い曲とわたしは思っています。きっと三人のときでは歌われないだろうと思っている曲のひとつでもあります。

その曲を「照らす」という表現がふさわしいと思うような姿で歌ってくれた光景は、わたしにとってはかぎりなく希望的といえる光景でした。

ここ2年ほどで、たくさんのアイドルの脱退や卒業、解散を目にしてきました。
一度だけ見たことがあったアイドル、こっそり応援していたアイドル、
しらないアイドル、解散を知ってから好きになったアイドル、一生好きだと信じていたアイドル。

アイドルがいなくなる、ということは「人がいなくなる」こととまずはじめに認識をしてしまいますが、それ以上に体感してきたのは「ステージがなくなる」ということでした。
音楽が死ぬのはいつなんでしょうか?どういう条件のもと音楽は生き続けるのでしょうか。

だれかがきき続けるかぎり音楽は生き続ける と信じられるのはほんとうのことですが、同時に、ステージでもう流されることはなくなる・なくなった楽曲は死んでしまうのだと、そう思うこともほんとうです。
アイドルがいなくなってしまうことでとてもかなしいことのおおきなひとつは、そのアイドルの楽曲がステージ上で命をふきこまれることは、だいたいの場合においてもう二度となくなるということです。

アイドルを好きな人にとって、その子たちの楽曲はおそらくひとりひとり一曲一曲ちがうとくべつな意味をもっていて、それを歌われなくことはかなしいことで、でも歌われることでかなしくなるときもあるんだと最近はじめて知りました。

きまるさんがおやすみになってから、三人では披露されていない曲がいくつかあります。
三人では見ることができない楽曲があること、楽曲に命がふきこまれないことがかなしいと思うのもほんとうですが、どうしても四人でやってくれないといやだと、駄々をこねるような気持ちがあることもほんとうです。
そのどうしようもない気持ちがすこし救われたように思えた時間が、わたしにとってはこの聖誕祭のステージでした。

白鳥さんがひとり歌ってくれたそっ閉じ 青春も、アンハッピーバースデーも、こちらにはあずかりしらないものをたくさんのせてくれていたのかなと思います。こちら側にわかることはなにひとつありませんが、そのわからない部分にたいしてもありがとうと思います。

観客側がステージに勝手な意味をもたせてしまうことほんとうはすごく嫌です。ものすごく失礼なことと思います。無粋ないち感想として、読んでもらえたらと思います。
大好きなステージでした。大好きな歌唱で、白鳥さんが笑っていてうれしかった。

この人は歌うことが好きで、ステージに立つことが好きで、自らに授けられた楽曲や詞のことが好きで、観客ひとりひとりのことが好きで、そこから見える光景が大好きなんだろうなあと、そうやって信じられるような姿でした。大切そうにひとりひとりを見つめていた姿が大好きで、愛の人だなあ、と思います。

四人でのこの曲のステージは、サビになると風が吹いたように感じられます。というか、ほんとうに風が吹くんです。信じられないことなんですが。
この日も風が吹いていました。白鳥さんありがとう。涙がでました。 


「歳は重ねていくものだけど」とはじまる、きまるさんが担当するおちサビ。うしろのピアノがぐっとちいさくなり、この日は白鳥さんが歌うおちサビが輪郭をもって際立ちます。

とてもやさしくて、ていねいな歌唱と思いました。てのひらのなかにあるたまごをにぎりつぶさないような、だれかのためのケーキをはこぶような、そういったやさしさ。
動けなかったからケチャはできなかったけど、ほんとうはしたかった。すごくきれいだったから。

「だってそれは痛みの出口に あなたが立っていたから」本来の振りつけでは、手で目の前のフロアを指し示すラストシーン。
この瞬間、白鳥さんはたしかにひとりひとりにとって、ひとりだけの白鳥さんだったのだと思います。
ステージと観客とは、ゆるぎなく一対多数であります。それでも、あの場にいたひとりひとりを唯一オリジナルの人と人にしてくれたのは、白鳥さんのアイドルとしての瞬間のまばゆさと、つたえようとつたえたいと思う気持ち、なによりこれまで積みかさねてきたものすべての作用と思います。

アンハッピーバースデーを歌う白鳥さんの姿は、わたしの好きになったアイドルのかたちそのものでした。人に前を向かせてくれる、おおきな力のようななにかそのもの。


アンハッピーバースデーが終わり、白鳥さんによるふたりの呼びこみ。
「ミキティー本物!ぺいにゃむにゃむ!」
ミキさん、ぺいさんの順番で登場したふたりは本編から着替えてウェディング衣装、また頭のてっぺんには白鳥さんとおそろいの羽の王冠!それまで泣いてしまっていたのにかわいくて笑っちゃった!ほんとうにかわいかった!白鳥さんいわく「私の天使ちゃんたちです♡」とのことでした。


ぺいさん、白鳥さん、ミキさんの順番で並び、三人とピアノによる「ノスタルジスター」。
本来のきまるさんによる歌い出しは、三人での披露のさいはぺいさんが担当していますが、この日は白鳥さんによる歌い出し(!)でした。

すごくすごく大好きな曲なので、緊張してますますうまく覚えられていないなと思います、すばらしかったという感覚しか。でもはじまった瞬間も、白鳥さんが歌い出した瞬間も、びっくりして胸がいっぱいになってさっき止まった涙がまた出てきてしまった。
白鳥さんはほんとうにていねいに歌を歌う人だな、と思いました。

ミキさん、ぺいさんが歌うパートではそれぞれ白鳥さんがハモりを、白鳥さんのパートではふたりのどちらかがハモりを。きまるさんのパートは白鳥さんが。白鳥さんを中心としたうつくしい三すくみでできあがっていたステージでした。

ことしの夏よりすこし前からでしょうか。四人が意識してはじめていたであろう、既存の曲にあたらしいハモりをくわえること、また二人でのユニットパフォーマンスでステージを魅せきること、そのふたつの積み重ねをこのステージに見たような気がします。
(このふたつは、完ぺきに実を結ぶのはきっとまだまだ先で、また表面上見えづらいものといち観客としては思うのですが、続けてほしいなと思っています。きっともっと素敵になるから)

わたしがはじめて二丁目の魁カミングアウトの現場に足を運んだとき、この曲を歌う白鳥さんを見て、このきれいな人が「綺麗故に消える美しさよ」と歌う光景に、白鳥さんの瞳がとてもきらきらしていたようすに雷にうたれたようにこの人だと思い、それからこの場所に通うようになっていったのでした。

いつ見てもさみしくてうつくしくて、とくべつに大好きなシーンです。 

この日目にすることができてほんとうにうれしかった。

「この一瞬を永遠に残すことは出来ない だから僕を誰かに残さないといけない」
いままでよりもっともっと、この箇所が大切になった日でした。

聖誕祭のピアノアレンジのノスタルジスターは全体に渡って流れるような演奏でしたが、ここの伴奏からスタッカートになり、わたしはここで光がさしこむような、これからを照らすようなそんな印象にきこえていました。スタッカートは曲に表情をつける役割と考えるのですが、それをこの箇所から使ったこと、ここがあたらしく色づいたこととても素敵でした。

今まできいてきたノスタルジスターでのここの箇所は、わたしは諦観の印象を強く感じていて、白鳥さんが神さまのようなふかんの目線で、人生を見つめているようなさみしさがとても好きでした。「残さないといけない」よりも「残すことは出来ない」うつくしさ。
3日のFANJ twiceで行われたFREE GAY LIVEでのノスタルジスターでは、わたしのなかで、はじめてノスタルジスターに強さということばが結びついたパフォーマンスに感じた日でした。「残すことは出来ない」ことはほんとうのこととして歌われるけど、そのほんとうを受けいれたうえでの「残さないといけない」ことを示す、清潔な強さと思いました。
(いま思うと、ピアノアレンジで歌う練習をかさねていたからこその印象かもしれないと思います、演奏がちがうということは歌はさらにそれをひっぱらなければいけないのかなと思うので。そうやって感じた印象が聖誕の日のノスタルジスターに昇華されていたように感じたこと素敵に思います)

聖誕の日のノスタルジスターは、たしかに「だから僕を誰かに残さないといけない」のうつくしさでした。それも悲壮ではなく、あかるい決意として照らされていた気がして、それにすごくすごく胸がつまりました。ひとりでいろんな色を重ねて、大切にしていた大好きなノスタルジスターがまたちがった色であざやかに見えたこと、わすれたくないです。

うまくことばにできないのですが、やっぱりこの日もノスタルジスターがとくべつにきれいで、大好きでした。ひどい顔をしていたと思う。ふだん泣かないことが美徳なのに!

おわりのソロパートも白鳥さんが。

白鳥さん、やわらかくほほえんでいて、ミキさんとぺいさんもうれしそうなうれしそうな顔をしていて、あたたかい白色のノスタルジスターでした。
いま思えば、凱旋としての、故郷に錦をかざるノスタルジスターだったのでしょうか。


曲が終わり、拍手。
このあとリオさまといっしょに写真撮影タイムへ。
こうやって明るくなるとやっぱり体育館のような会場だなと感じたのですが、ステージが木でできているからですね、きっと。
リオさま、いっしょに感極まってくれていたと思うのですが、心のきれいな人。

リオさまとキーボードが退場し、ステージには三人だけに。それから恒例のプレゼントタイムへ!白鳥さんがわすれてた!と素でおどろいていたようすだったのですが、それだけたくさんの挑戦をしていた聖誕祭だったのだろうなあと思います。 
ステージからはけたミキさんが持ってきたのは、なんと米袋!2017年に行われた生誕祭のときに、メンバー三人からお米がプレゼントされたことの踏襲ですね。ファン以上にメンバー自身が自分たちの思い出を大切にしていて、いとおしいなあと思いました。

(余談ですが、物販で会場近くに並んでいるときお米の自動販売機を見たような気がするのですが、それで買ったのでしょうか。)

白鳥さんは最近自炊をまたするようになったからうれしい、農家の人ありがとう!と。
そのあとにほんとうのプレゼントも登場、ご本人がほしい!と言ってらしたというドライヤー(金髪は髪が乾きにくいからと)と、ドラクエ(体験版までやって買うのをずっと悩んでいたと。体験版のつづきからできる!?とうきうきしてらしてかわいかった)!

にこにこ笑って登場したふたりが、もう楽屋で泣きつくしたもんね、白がこんな愛されて〜って!というふうに茶化して言っていましたが、すごくぐっときたなあ。白鳥さんが小犬のようにきらきらよろこんでいたのも。


やっぱりぺいちゃんじゃないと、というふうに煽りのバトンが渡され、ぺいさんが煽るとまた会場に一気に熱気が!かっこいいなあ、才能だなあ〜と思いますね、ぺいさんのステージ力というのは。

「シワの数だけ被GAY妄想!」とタイトルコール、円陣を組む三人。
曲に入る前に、白鳥さんのひそめたような笑い声や、ほほえむときの息をすいこむ音がマイクにのって届いてきていて、世界でいちばんいとおしい音でした。
ここから三曲つづけてハッピーでチャーミングな曲が続くのですが、きらきらした気持ちで胸をいっぱいにして帰ってもらおう、という心づかいのようで、とっても大好きでした!

それこそ胸いっぱいで、かつものすごくたのしんでしまってなにも覚えられていないのですが、三人もとってもたのしそうでうれしかったな。
ワンダーコアのシーンでは、ワンダーコアになろうとした白鳥さんの下にぺいさんが滑りこんできてワンダーコアに!おどろきながらおっかなびっくり腹筋をする白鳥さん、とてもかわいかったです。かわいい!

大好きな「自分をよく見せる努力 欠点と日々戦ってんだ」がはれやかな歌唱でかっこよかったです、白鳥さんの強さへのあてがきのようで、大好きな歌詞!

おちサビ、ふたりの歌ううしろで特大のにこにこでこちらに歩いてきてくれる白鳥さん!
「アイドルもお宅もそれなりに 頑張ってきたからそう 今日まで生きてこれたんだ」!
きょうきくことがこんなに感慨深く、そして幸福にきこえる歌詞もないなと思います、白鳥さんの笑顔の、歌唱の、背中でふわふわ揺れている羽のまぶしいことといったら!曲中で数えられる年齢は、隠さなければならない呪いとしてあらわされますが、大好きな人のなかに祝福、ないしはいとおしい呪いとして、刻まれてくれればいいなと思います。ひとつ年をかさねたばかりの白鳥さんのいちばんめには、きょうがそれとして。


笑顔で手のひらを振り、そのまま横一列でねむる四人。どよめき。
きまるさんがおやすみになってから、三人でははじめての「ボクの夢はお嫁さん」でした。 

この曲はいわゆる「メジャーアイドル」らしく、曲中のパートわけがかなりこまかく行われていると思うのですが、三人は変更にしっかり対応していて(練習をかさねてきていると思うので、あたりまえかもしれませんが)さすがだなと思いました。

サビの、ミキさんと白鳥さんが、ぺいさんときまるさんが地球のかたっぽとかたっぽで丸をつくる振りつけは、ぺいさんは客席に向かって地球のかたっぽを。
ラップバトルは二対二のコンビ戦から、ミキさんとぺいさんのタイマンバトルへ。白鳥さんはキュートにレフェリーを担当されていて、とてもかわいかったです。

「永くて短い人生でひとつくらい 死ぬほど大切な人や夢を 見つけられると思っていた」
有志の方の用意でひとりひとりに手渡された白いサイリウムが、ここでいっせいに折られます。おねがいのポーズからセンター位置での歌にうつり、サイリウムが折られてからワンテンポ遅れて客席を見やった白鳥さんの顔が、一瞬でうれしそうにほころんだこと、白鳥さんが白い海を「見た」瞬間がはっきりとわかったこと、わすれられません。世界でいちばんかわいい笑顔でした。きっときっと、白鳥さんも一生わすれられないようなきれいな光景だったのだと思います。

(有志の方々にはほんとうに毎回頭が上がりません。ありがとうございました!) 

白鳥さんはここの歌詞、どんな気持ちで歌っていたのかな。


きょうのこの日は終わってしまうけど、胸いっぱいのまま明日へ送り出してくれるような、まさにアイドルのライブとしての聖誕祭と感じていたので、「明日は何食べようー?」がかぎりなくハッピーにポジティブに響いていたこと、とても好きでした。
「ボクの夢は、うつくしくあり続けること!」に続けて、白鳥さんが「きまるの夢は、まだまだ成長すること!」と。これも含めてああ「明日」だ!と思えて、よかったな。


最後は「まるもうけ」!なにも言うことありません!!
きっと白鳥さんにとっても分身のような曲なのではないかな。
三人ともたのしそうだったし、客席もたのしそうでとてもよかった!!!しあわせだった!!!白鳥さんの目ってやっぱりきらきらしているなあと、何度めかわからないけど思いました。

「つまんない人生送ってきたな」白鳥さんの大見せ場、ここでミキさんとぺいさんからのキス(!)、くすぐったそうにうれしそうに笑う白鳥さん、なんてしあわせな光景なんでしょうか。

この歌は、だれかのかわりはいないと、それはあなたも、そしてわたしもだとそう歌われる曲で、ことし白鳥さんが体調不良でライブをやすんでしまったさい、ここを客席に歌わせること、ああ「意味」だなあと感じていました。きょうのこのシーンは、白鳥さんという人への、存在すべてへの肯定と祝福のようで、ほんとうに素敵でした。

これも、ことばにするだけ野暮というものですが!ただただ愛ですね。
「それでも誰かに代わりたくないのは」に続く歌詞に、もうほんとうにそれしかないと、そう思うばかりの一日でした。


「私今、宇宙一幸せだよ。」と、終演後すぐに白鳥さんはTwitterで呟いてくれました。
いちばんしあわせでいてほしい人がステージの上からいましあわせだとつたえてくれること、目を見てしあわせとつたえてくれること、これ以上に幸福なことがわたしの世の中には存在しえないと思います。
白鳥さんを応援できるかぎり、一生世界で二番めにしあわせです。

そして、「昨日のあの時間、あの瞬間に感じてもらったこと全てが正解だと思うので」とブログに書いてくれる白鳥さんは、どこまでも強くやさしい人だと思います。なんてふところの広くて、強くてしなやかで、アイドルなんだろう。この人にゆるされつづけるのだろうなあと思います、これから先も。

白鳥さん、これからもご自身の信じるアイドルを、「白鳥白鳥」をえらびつづけてほしいなと思います。
それがすべてわたしの好きに合致するとは思いません。むりやり合致させたいとも思わない。
でもそれが重なるときはこれ以上のないよろこびで奇跡で、今まで白鳥さんを応援してきたわずかな期間を踏まえて考えると、白鳥さんはきっとそのよろこびをあたえてくださるし、それ以上に信じさせてくれるアイドルなんだと思います。 

わたしはとてもじゃないけど「ずっと」と約束はできないので、一秒一秒をかさねさせてください。 

かたちにされた愛はだれかの身を守ると信じています。
この日がこれから先わたしのお守りであるように、この記録がいつか銃弾をふせぐ胸ポケットの名刺入れであるように、あるいは冬の毛布のようであることを願います。
お誕生日おめでとうございます!素敵な一年になりますように。

OS1ゼリー

ぐりという名前です。アイドルオタクの気持ちブログ。

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