Good As Yesterday ❷の日の日記

そっ閉じ 青春とyesterday the once moreを聴いて、ミキさんはなんて予言みたいな歌詞を書くひとなんだろうかと思った。そんなことを思ったのは今日この日がはじめてで、でもなんでいままでそのことに思い至らなかったのかふしぎなくらいにそう感じた。最初にこの二曲を聴いた日から、実際に経過した年月よりもっともっと長い時間がすり抜けていってしまったんじゃないかと、そんな気持ちになった。

「過去は」とはじまる紅さんのパートに心臓がギュッとなった。前任の方とおなじ歌いだしだったから。過去にはけして戻ることはできない、けれど、と逆接する以前のパートと、だからこそ、と順接するいまのパートできっと対のようにもなっているのだと思う。そのかすかな結びつきに、ミキさんという人をつよくつよく感じる。ここのパートを指して、ぺいさんが「紅のそっ閉じの歌詞のことを考えてて、これはぐりちゃんとかも照らされる歌詞だと思った」と言ってくれたけどほんとうにそうで、ほんとうにそうとしか言えない。過程、ということばは一見すごく冷たくもうつるけど、わたしはこのことばにスーッと掬いあげてもらったのを感じた。ライブを見終わってからわたしは「光」の動詞のことをずっと考えている。輝く。光る。照らす。ミキさんのなかで、紅さんというひとにかかるのは明確に「照らす」なんだなあと感じた。「輝く」の光は単体でも存在しそうだけど、「照らす」の光は、かならず照らされる対象がいることで存在する光のような気がした。いつかミキさんの思う光についてのお話しをきいてみたい。

何日か前に、ミキさんがそっ閉じ 青春の詞をいままでとは変えてうたうということを前もってブログに書いておしえてくれて、わたしは素直にああよかった、と思った。このよかった、にはいろんなよかったが含まれていて自分以外のだれかに澱みなくつたわるようにはつたえられない。もともとメンバーひとりひとりにさずけられていたその箇所を、この体制ではどうしていくのかなあとずっと頭のどこかで考えていて不安でたまらなかったので前もってつたえてくれたことに助かったー、って気持ちだった。だれかひとりのために書かれた詞だとしても、それをそのひと以外がうたってはいけないとはわたしは全く思っていなくて、むしろ、そのひとがいなくなってしまったとしてもほかのだれかがうたうことで永遠に生きつづけていけるのが、歌という媒体のすばらしさと思っている。正直なところ、ミキさんは変えないひとなのかな、とも考えていた。だからなんでよかったのか、というふうに聞かれたらうまく言えないけど、もうすでに宝物みたいに思っている筆さんと紅さんにミキさんの詞がさずけられることがうれしくて、そのよかったがいちばんおおきかったように思う。ふたりがしあわせそうに笑っていてなおのことそう思ったし、なおさらのなおさら、四人が笑っていたから全部これでいいよ、という気持ちになった。どうかずっと笑っててくれ。

永遠なんていらない、昨日と同じでいい、ってうたうyesterday the once moreがこんなにも眩くてきれいなのは、わたしはけっして叶うことのない願いの歌だからと思っていて、同時に、四人が駆け込んできて、カーテンコールみたいにつないだ手を高くかかげる瞬間、これはハッピーエンドのお話しなんだ、と信じてしまう。前体制のyesterday the once moreでも手を掲げた瞬間にそう思えていたこと、この日四人が手を掲げてくれるまで忘れてしまっていた。この日のyesterday the once moreがはじまるときの照明の色を見て、あ、アイソでいちばん好きな照明の色だ、と思った。事実そうだったかはわからない。わたしはあのとき絶対に一生わすれないわすれないわすれないってとなえながら目に焼きつけようとしていた光景や照明の色をもうなにも覚えていられていない。でも、こうやってまたたくさんの場面を見るたびにハッと思い出すような瞬間があるんだと思う。それがそのときの光景そのままでなくても、ほんとうにそうでなくても、そう思えることがきっと「出会いを繰り返す」ということだ。
ミキさんの祈りの原液そのものみたいな曲だと感じる。わたしはこの曲をきくたび、この曲に出てくる青が「あの青」であることを、道が「あの道」であることを尊く思う。

この日は初披露のこの二曲のカロリーがあまりにも高すぎてそれにばかり言及してしまうけど、すべてすばらしかったし、そっ閉じの次がノスタルジスターで、yesterdayの次がホモサピエンスだったんだなあ、と胸が詰まったし、息をとめてしまうようなセットリストだ、と思っていた矢先の紅さんの「まるもうけ!」のタイトルコールがあんまりにもこどもみたいでかわいくて一気に気が抜けてしまったのもめちゃくちゃよかった。紫いろの照明を見るたびに、わたしは草野マサムネさんが孤独に色があるとしたらうすい紫、と答えていた話を思い出してしまうんだけど、この日のネコの恩返しのおちサビのなかでもいちばんいいおちサビがバッと紫いろで照らされた瞬間、「照らす」光としての紫いろだ、って眩しい気持ちになった。

よく晴れた日だ、と思っていたらとつぜん晴れ間のなかざあざあ降りになっていたり、帰り道は風がびゅうびゅう吹いていたり、なんだか奇妙な天気の日だった。現場の日はふつうに晴れてくれるのがいちばんだよなあ〜なんてことをつくづく思う。


OS1ゼリー

ぐりという名前です。アイドルオタクの気持ちブログ。

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