いつもTwitterのリプライをつなげてだらだらライブの感想を書いているのを今回の4日間はブログにしてみようかなと思ったのは、主に思い入れへの言及が多くなってしまうだろうからきっとライブ自体の感想ではなくなってしまうし、感情面が前面に出た文章はいつも以上にだれかを不快にしてしまう可能性が高く思えてワンクッションおけるようにしておきたいなと思ったから(そのほうが変に整えず書けるし楽なので)。でもこの日はもうすぐにライブの感想書きたい!なにも考えずにベラベラ書いちゃいたい!という気持ちになるようなライブだった、いちばんとかないけど、わたしはこの日がいちばんよかった!大好きな二丁目の魁カミングアウトのライブだ!と思った。
アイソトープラウンジで、ステージの床の木目がとつぜんはっきりと見えるようになる瞬間がある。いつもは照明やステージに立つその人のうたう表情ばかりを見てしまうのに。わたしはその瞬間がおとずれるたびハッとして息苦しい気持ちになるんだけど、この日の(1+1)×0=0はとくに床の木目がよく見えるような時間だった。どこかで生きているのにもう会えない人は死んでしまったのと全然違うそしてそれは時に同じだ、って詞をいつもふとした瞬間に思う。ミキさんがひとり膝をついてそううたうときに、ミキさんを囲む顔の見えない三人は「死んでしまった」人たちなんだろうか。それともミキさん自身なんだろうか。わたしはいまだに分かっていない。この日はなんだか「死」ということばをつよく意識してしまったのか照明のせいかわからないけど、四人が屍を踏みしめて踊っているような気がしてしまっていた。いまの四人を応援しているときの自分はどうしてもまだリビングデッドのような気持ちでいて、「死んでしまった」人になりかけていた自分のことも、どこかの世界線の今日をこんなふうに過ごしていなかった「死んでしまった」自分のこともすこし考えた。顔の見えないぺいさんの衣装の袖のかざりの一本一本が底に引きずりこもうとする触手みたいにも見えて板の上の魔物だ、と思ったけど、次の瞬間に顔をあげたぺいさんが苦しそうな顔をしていて、ああぺいさんだ、と思った。ミキさんの真上に伸ばした腕を横一直線の軌道で掴んだ筆さんの手が、まるで十字を切っているみたいに見えて、墓標みたいに思えた。叫ぶみたいにうたっている筆さんは、生きている人死んでしまった人どちらでもあるように見えた。
こんなことを考えるのと同時に、この(1+1)×0=0を野外で見てみたいな、って希望じみたことも思ってしまって、夜の横浜スタジアムのことを思い出してしまっていた。スタジアムのすぐ外は街並みが広がっていて空の中に東横インのあかりも見えて、でも照明を消すと一気に真っ暗になってしまうような、日常と非日常の境目みたいな大好きな会場。航空写真みたいに、アイソトープラウンジで踊る四人の姿も頭に浮かべてなんだか泣いてしまいたくなるような気持ちになった。こんないろんなことを考えながら見てしまった(1+1)×0=0ははじめてで、それは映像で見ているからということもあるだろうけど、どうしてもこの場にいたかった、この目で見たかった、と四日間のなかで唯一悔しくてたまらない気持ちになってしまった。いい(1+1)×0=0だった。
こんなことを書いておきながら、特典会ではsee you next lifeのことを真っ先に伝えた。というか、伝えなくちゃと思った。実際は伝えたというよりは伝えたかったけど全然ことばにできなくて呻きながら拍手をする悲しいモンスターになっていた。歌いだしを、おちサビを、この歌のパートのたくさんを引き継いで任されてやり切った紅さんにすばらしかった、と伝えたかったんだけどどう考えてもうまくいっていなかった。キモオタクは死んでもキモオタク。
ここまで披露されていなかった楽曲は、楽曲ひとつひとつに事情があると思う。see you next lifeは楽曲の意味合いというよりはパフォーマンス面の事情で披露が先の機会へとなっていたんじゃないかな、と勝手に思っていて、そういうことを考えるとたまらない気持ちになってしまった。がんばったね、という気持ちにどうしてもなってしまったけど、どの立場の人間なんだよ、と思うからアイドルにがんばったねとはどうしても伝えたくなくて、その結果が拍手でした。もっとこういうのをじょうずに伝えられる人間になりたかった。
紅さんはこの歌のひとつひとつをすごくていねいにうたってくれているように見えて、これもどの立場の人間だよってかんじだけど勝手にありがとうって思っていた。ほかのメンバーよりも体の線がよく見える衣装で、細い線の体でステージのまんなかにひとりうつむいて立っているときになんだか泣きそうになってしまって、言いたいこともの筆さんのときみたいに手をつなぎにいけたらという気持ちにもなってしまったんだけど、ぺいさんと向き合ってうたっている姿を、おちサビで激情をのせながらうたっている姿を見たら、きっとどんどん自分のものにしていくんだろうな、と思った。それをこの目で見ていけるのはすごくすごく幸運なことだ。この歌を任されてくれてありがとう。
鶴亀のさいごのミキさんの歌の乗せかたがかっこよかったとか、ボクの夢はお嫁さんの紅さんがいままででいちばんよかったとか、伝えたくて伝えられなかったことがたくさん浮かんでくるけど総じてすばらしかった、ということに尽きるし、an happy dayでこの四日間が幕を閉じたことってなんてすてきなことなんだろう。四人が手をつないで円になった瞬間、エンドロールが流れ出しそうだった。あんまりにもしあわせな気持ちで胸がいっぱいになると、わたしはもう、ここで終わってくれ、ここで終わらせてくれという気持ちで泣きそうになってしまう。an happy dayのときや、yesterday the once moreのときもそうだった。こんな未来のある人たちにそんなことを思ってしまうのは自分でも嫌でたまらないけどこれはもう自分でどうにかしなければならない不治の病だ。ここから一年がはじまって、しあわせな一年間にしてくれると約束してくれた四人に見合うような気持ちになっていけたら、返していけたらと思う。来年の5月1日に、どうか終わらないでくれと泣けていたら、もしくは、こんなにたのしい時間がずっと続いていってくれと笑っていられてたらしあわせなことだ。
なにより四人にとっていちばんたのしい一年間でありますように。四日間ありがとう!
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